戦陣の断章

三年有半、地獄の生活から開放されて内地・・・

第二十九章 ねんざのこと

今日も迎えの船は入ってこない。

南崎の待機舎には帰りをまちわびる将兵が期待と苛立ちの心境で船を待つ。なんと一日の長いことか。
雑記帳に寄せ書きをし合う者、荷袋の作製補修を行なう者、コックリさん占いに興じる者、マラリア未だ癒えず横になっている者、人さまざまに毎日を過ごす。

暑い夜が長く感じた・・・夜をもてあまして他の幕舎を訪れては雑談を交わす。夜のとばりがおりて暗くなった。私は所用が出来て宿舎を出た。「方向おんち」の私は不案内な道を確実に歩くため幕舎沿いに明かりを頼りにそろそろと歩いていた。

「アッ!」と声を出す間もなく約一メートル下へカラ足を踏んで右足から落ち込んだ。「グギッ」と不気味な音がして転がった!脂汗が出て右足を抱え込む。一瞬は痛い感じがしなかったので立ち上がろうとしたとたん激しい痛みに耐えかねて再び転んだ!痛みをこらえ這いながら自分の幕舎に戻った。
足首が急に腫れ上がりヅキヅキと血管が腫れてくるような感じがする。軍医さんの診断では骨折はしていないというが、とりあえず水で湿布をして腫れの引くのを待った。こんなにひどい捻挫は初めてであり、これから先が思いやられて色々と思い悩んだ。
腫れた足首は容易に引かなかった。用を足すのにいちいち室の中を這いずり廻る苦しみは他人には分からなかったに違いない。

五月一日、遂に待ちに待った朗報が届いた。
明二日十二時出港だという!将兵一同歓喜の声を上げた事はいうまでもない。複雑な気持ちが錯綜する。

二日、南崎の桟橋にはリバティーV0006号の船体が横付けになっていた。戦場に来るときの輸送船と較べてなんとスマートな事か。予想通り豪軍の手持ち検査があったが、案に相違して穏やかだという。荷物を傍らにおいてずらりと並んでいる。私も足の痛みを堪えて立っていたが、体重の重みで痛みが激しくなり腰を下ろして座ってしまった。苦楽を共にしてきた人々とそれぞれニコニコしながら会釈を交わす。隊列を作ってからは目と目が別れの挨拶をした。

とたんに「塚本少尉!!」と大声がした。
振り返るとN少佐が佛頂面をして、立っていろという仕種をしている。とても立っていられる状態ではない。畜生と思った。私はニヤッと笑ってそろそろと立ち上がった。復員完結までは一応秩序は保たれている。私は痛い足を引きずりながら何とか部隊を引率して無事乗船を完了した。

十二時、予定通り我々夏兵団一行を乗せたリバティーV0006号は静かに桟橋を離れていった。

誰からともなく「さらばラバウルよもう来るものか」という歌が流れてきた。三年有半、地獄の生活から開放されて内地に向かう。しみじみと、「もう来るものか」という言葉を噛み締めながら薄ら笑った。

お世話になった戸伏夏兵団参謀にお別れの挨拶をと思っていたが、船室が分かれたのでとうとうお会いできずじまいになってしまった。
足は相変わらず痛み、用便を足すのになんとも情けない思いをしたものである。途中ラバウルに寄港し、三日七時出港マッサバに十一時着、一日停泊して五日の午後六時出港して一路懐かしい日本へと急いだ。流石にリバティー号の船足は速い。

五月六日十一時四十八分頃赤道を通過した。水平線は何処までも遠く白雲がたなびく。

透き通るような空には今にも零戦とか一式陸攻が出撃していくような錯覚に陥る。

島に眠る戦友よ。お先に帰らせていただきます。お許し下さい。右の足首がまた痛くなってきた・・・