第十七章 金槌のこと
ジャングルを切り拓き、海辺の砂を歩き、河口を渡り黙々と歩みは続く。辛さに負けて自由行動をとりはじめたらそこには死体が待っている。きついけれども部隊から離れてはならぬ。又離れないように叱咤激励しなければならない。飢餓と疲労は誰も同じであり、暑さはわれわれを平等に苦しめるのだ。自分との戦いである。
隊伍は日を追うに従って長くなる。休憩後の「出発準備!!」の号令のころようやく辿り着く者がでてくる。休憩する間もなく又歩く。
足には熱帯潰?ができてヒリヒリして靴もはけぬ者が続出する。もっとも靴も底がパックリあいて使いものにならないのだ。
海岸線を進むほうが方向の点からも確実なのでつとめて海へ出た。然し沖には潜航艇の目が光っている。発見されれば飛行機からの銃撃につながり又山奥へと入り込む。
北海岸には多くの河川が流れ込んでおり何回か河口を渡った。銃火器や軍刀を高くかかげて手をつなぐ。うねりがあごのあたりを大きく上下して気味が悪い。
夜は仮の小屋で休息をとるが、まず足の手入れだ。熱帯潰?をよく乾燥していたわる。 朝、「出発」の号令とともに歩きはじめ、ものの五十メートルも行かぬうちに河口に行き当たり、せっかく手入れした足が又濡れる。 雨にあたり、海を渡って衣服がぐっしょりになれば、よくしぼって着る。着ているうちに乾く。
食べるものがないといっても何かしら煮たきするには川のあるところを選ばねばならない。そこは先に転進していった部隊の寝起きしたところが多く、その周辺には根も力も尽き果てたと思われる無惨な姿の戦友が数多く横たわっていた。いずれも最後の最後まで生きるための力をふりしぼったことだろう。
われわれはラバウルに集結するためにこれら草むす屍を乗り越えていかねばならぬ。 急流の河を何回渡河したことか。クル河にぶつかる。橋がないので渡河できそうな場所を求めて上流へ遡る。体力の限界を知り強行突破を断行する。泳げない者は達者な者の帯革につかまり足をバタバタさせて泳ぎつかせてもらう。ある時はイカダを作って渡り、ある時は対岸に届くであろう大木を一日がかりで切り倒したがついに届かずじまいだったこと・・・・・。渡河にまつわる悲劇は尽きない。
今日も又川にぶつかった。幸い先に転進した部隊がかけてくれたであろう直径七十センチほどの大木が渡してある。川巾は二十メートルもあろうか。先頭から渡りはじめた。ものすごく急流である。体の中心をとりながらおそるおそる渡っていく。私も同じように渡り七・八メートルも進んだ頃、前の者が僅か止まった。私はひょいと下を見た。足もとがグラつき目まいがしてどうと倒れ、そのまま川へ落ち込んだ。
「アッ」という間もなく上になり下になり流れた。最小限度にまで減ってしまった装具ではあるが、ゴム袋でくるんであるからたまらない。体がふわりと浮いてしまう。川の中はすごく澄んでいて川底の大小の岩がよく見えた。軍刀で何回か岩の間に差し込んだが流れで払われてしまった。かすかに「体長がながされたぁ」という川沿いに走って行くような声が聞こえた。浮いたと思うと又下に沈む、上向きになり下向きになり必死に軍刀を刺し込む。不思議なことにあまり水を飲まない。溺死するときはこんな具合になるのかなと思ったりした。意外に冷静だった。
急に体が右に引き寄せられたかと思うと、これまで二メートル半はあったであろう水深が急に浅くなったので、ここぞとばかりに大きな岩にかぶりついた。川がくの字に折れたところだったのだ。やっとの思いで這い上がったが、目がくらみ当分動けなかった。あれで百メートルぐらいは流されたのだろうか。
ようやく部隊に急追し、又も着干しで元に復したが、「金槌」の情けなさ。笑われても弁解のしようもなかった。九死に一生を得たのだが、戦闘外のこととてお話にならない。重要書類はなんとか死守(?)し得たが、軍刀は鞘の中が完全に濡れてしまい、この日以来サビ防止によけいな労力をかけることになってしまった。
毎年、水泳の時期が来ると「金槌」の私には当時のことが思い出されて良い納涼となる。