戦陣の断章

この遥か戦場にこんな立派な治療台があるとは・・・

第十四章 歯骨膜炎のこと

マーカス岬に布陣してから相変わらず毎日毎晩のように敵陣地から砲撃が繰り返され、ノースアメリカンB25が銃爆撃をして行く。
わが大隊本部から約二キロ程度しかない敵陣地からは、時折ジープとか戦車とかが始動しているらしい音が聞こえてくる。といって特に攻撃をしかけてくる様子もない。
左右第一線のわが陣地の将兵も敵を目前にして万全の態勢を敷いているとはいえ、毎日緊張の連続であろう。糧抹にも限りがあり、現地物資の調達にも苦労した。
毎日使役が派遣され、遥か後方メッセリア飛行場を更に東方へ行ってはタロ芋などを手に入れてくる。帰路、飛行場の中央部あたりで敵機に発見され、逃げ場を失って機銃の犠牲になった者も少なくない。
敵機は、トラックであろうと人であろうと発見したら弾薬に糸目をつけず徹底的に機銃掃射を浴びせ、トラックは掩蔽壕に退避するいとまもなく炎上させられた。

ある日、敵爆撃機の来週に逢い、野戦病院の近くに堆積してあった岩塩が吹き飛ばされたというので行ってみると無惨にも真黒コゲになっており硝煙の匂いがただよっていた。
戦場での炊事は、煙で敵に上空から発見されるのを防止するため、常に翌一日分を夜のうちに、しかも火が見えないように周囲をかこって行った。ましてマーカスの戦場においては細心の注意が払われたものである。
夜になると、またもや迫撃砲の不寝番射撃があり、炊事当番は、弾着と火に注意しながら暑さをこらえて懸命に頑張った。
それにしても敵の地上部隊は、不気味なほど動きが無かった。

ある夜、右下の虫歯が急に痛くなった。マーカスに来てからは、もちろん歯など磨いているひまはない。夕食にたべたタロ芋の固いずいきを噛んだため、これまで静かにしていた虫歯が騒ぎ出したのだろう。
ところが、その痛みがただごとではなかった。ズキズキするのは当然としても、あごのあたりが痛み出し、右頬が大きく腫れ上がった。十時過ぎの頃は、頭の蕊まで痛くなり、もういても立ってもいられなくなった。

軍医さんもマラリアなどで弱っておられたが、ねむい眼をこすりながら私の口の中をのぞいてくれた。「なんとかしてください。」懇願した。
「ヤヤッ!これはいかん!骨膜炎になっているぞ。早くコッチへ来い。」と歯科診療室へ案内された。おそまつな診療室には、デンと歯の治療台が置いてある。なんと大したものだ。この遥か戦場にこんな立派な治療台があるとは・・・。どうやって搬送してきたものだろうか?

おおいそぎで台の上に乗り、身体をまかせた。注射をしたのかしないのか分からぬうちにバリバリという音とともに激痛が走り何本かの歯が抜き取られた。
眼からは涙が出る。口の中はなにがなんだかわからない。口を濯ぐとまっかな血が泡となって流れ出た。なにか治療しているようだったが、「これで終り。」との一言。脱脂綿を口にくわえてお礼を申し上げ帰ってきた。
放っておくと歯髄炎になるところだったとあとで言われた。

今では当然旧式のものだろうが、あの重厚な歯の治療台はまさに軍医部にとっては重要な兵器にも値するものであろう。
砲撃のさなか、骨膜炎の治療など思いもよらない出来事であった。餅屋は餅屋というが、これほど軍医さんが偉く見えたことはなかった。

復員後、数年してから入歯を作ってみたもののどうにも思わしくないのではずしたままになっており、右下の歯は「二本欠」という状態になっている。
今現在では、なんとか自分の歯で、しかも虫歯がない(治療してかぶせた歯はあるが・・・。)のは有難く親に感謝しなければならないが、口の中は「完全編成」ならぬ「二小隊欠」というところか。

これで、敵さんよいつでも来いということになった。
相変わらず砲爆撃が続いているが、地上の動きには不気味さが続く。