戦陣の断章

放心状態のわれわれは無表情・・・

第十九章 戦闘用被服のこと

転進部隊は、飢餓と栄養失調の極みにあった。現地のタロ芋、椰子の芽、バナナの蕊等を調達できるうちはまだ良かったが、体力の衰えとともに行動範囲も狭くなり得体のしれないものでも食べるようになった。装具も逐次捨てていき身軽にならざるを得なかった。将兵の誰をみても兵器、弾薬、炊事用具のほかは必要最小限度のものしか持っていなかった。

日本式マッチはすぐ湿って薬がくずれてしまい、すぐ用を足さなくなる。誰がいつ“初体験”したのか防毒面を内緒で燃料用に用いていた。面のゴムの部分が良く燃えるというのだ。防毒面は軍事機密に属する。然し気力だけで、ただ足を前に送るだけの状態下では、もはや生きのびるだけしかない。防毒面はいつの間にかほとんどの将兵の肩から姿を消していた

トリウを出てクロスポイントを通過するころには衣服はボロボロ、裸の水筒を腰に下げ、足は軍靴か地下足袋をかろうじて結えてくるんであった。ひげはむろん伸び放題で夢遊病者の集団といってもよかったかもしれない。

途中で辛さのあまり手榴弾で自らの生命を絶ったもの、落伍したために遂に掌握できなかったもの、マラリアと下痢のために息絶えたもの、まさにこの世の地獄であった。

シナップに辿り着く。友軍の衛生隊などが迎えに見えていた。目的地のトーマはもうすぐだと聴かされるが、放心状態のわれわれは無表情だった。

顧みると二月二十七日にマーカス岬を離脱してから二ヶ月余、毎日毎日よくも歩いたものである。辛いけれど、自分との戦いに勝ち、部隊と行動を共にしてきた者だけがゴールインしたのだ。粁程表でみると五百キロ余になる。

ビタカップ一帯に陣取った夏兵団本隊と合流したのが、十九年四月二十九日。涙がこぼれた。

体調を整え、被服の支給を受け、兵器の整備を行いラバウル持久戦に備えた。

決戦用として支給された“まっさら”の服や下着には身が引き締まる。なんともいえないいい香りがした。いざ敵が上陸してくれば、上から下までこれに着替えて差し違えるのだ。刀の手入れを行い、弾丸は一発一発たんねんに磨いた。