第二十二章 錦へびのこと
ツルブ―ブッシング―マーカス岬の戦闘―カ号転進作戦を通じてなにがといわれて食料不足=飢餓ほどわれわれを悩ませ、戦力低下に影響を与えたものはなかろう。これがひいてはマラリア等の病気を惹き起し、これがまた戦力損耗につながるという悪循環を招いていった。
これまでも椰子の芯、パパイヤの根、バナナの芯と根、ビンロウジュの芯、カナカホウレンソウ、カナカセリ、トウガラシなど現地の植物が主食として、あるいはおかずとしてわれわれの生命の糧となった。また時にはトカゲ、ワニ、ヘビ、オウム、ナマケモノなども見つけ次第殺して動物性タンパク質を補ったりした。
ラバウル防衛のための戦技訓練が激しくなるや到底こういう手段だけで事足りるはずはなく、方面軍から現地自活による食料確保の命令が下達された。 各部隊は、それぞれ専門的な知識を持っている将兵を中心として計画を立て、敵機の来週を考慮しながらジャングルの開墾に着手し始めた。次第に拓かれていく状況を空から見れば、日本軍の配備や兵力等もありありと判断できたのではないかと思われる。
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わが連隊には幸い西瓜博士のK中隊長がおられ、熱心に耕作の計画指導にあたられたが、私も出身校の関係からか農耕隊長を命ぜられ、訓練のない日には現地で作られた鍬やその他の農具をかついで農園作りに精を出した。
見る見るうちにジャングルは開墾され切り倒した木は畑と畑の境界に積み上げた。開墾中も常に敵機の監視は怠れない。
主食は主として陸稲(現地種か新価二十六号など)とさつまいも(沖縄百号、菊水号とういう紫芋など)であった。何しろ四季のない常夏のことであるため成長もはやくいずれも三〜四ヶ月ぐらいで食べられた。一方では種まき一方では収穫という光景も熱帯地方ならではのことであるし、さつま芋などは放っておけば、どんどん大きくなりお化けさつまになったものである。味はもちろんうまくはないが、今は味などいっておられる状態ではなかった。
副食用としてきゅうり、なす、黒大豆、菜豆(甲州豆)トマト、カウピー、?豆(長豆)、熱帯春菊、辛子菜、大根、オクラ、ショウガ、南瓜、ねぎなどが輪作を考慮して栽培された。また落花生、すいか、たばこ、とうもろこしなども作られいつしかラバウル一帯は一大農園と化し食料決戦体制が整備されていった。各部隊は毎日の開墾面積、作物別作付面積を上級部隊に報告したが、その面積は六四〇〇ヘクタールに達したという。
とうもろこし畑は、よくオウムに荒らされたものだが、目も鮮やかなオウムも悪魔に見え射ち殺して食べたこともある。
開墾中にヘビでも現れようものなら大変だ。文字通り、「草の根を探しても」追い回し、結局は逮捕してこれまたつけ焼きにして口の中に入った。
たばこの葉は生育途中での摘菜は禁じられていたが、人知れずもぎとられたこともありガキ道に陥った人間の本性が各所で見られたものである。
また各隊ごとに鶏を飼育しはじめた。竹などで高く囲って小屋を作るのだが、野生化した鶏は次第に木の枝などの高い所へ止まる習性を備えてしまい捕まえるのに苦労してしまった。
私の宿舎の枕元に巣を作った鶏は、クックッ・・・と鳴いたあと一聲かん高い聲を発して卵を産んだ。はじめは追っ払ったが、又帰ってくるのでいとしさもつのり、鶏権を尊重して産ませることにした。
日本でみられるような蜂の巣に似た直径三〇センチ以上もあるアリの巣(大きなカルメ焼きといったらよいか。)をトントンとくずすと割れ出てくる無数の白いアリの子を鶏たちは喜んでついばんだ。真白いアリの子郡団が、またたく間に食べられてしまう。すさまじいの一言に尽きる。
ある夜、屋根をしてある鶏小屋が急に騒がしくなり、鶏のけたたましい聲も聞こえてきた。懐中電灯を持った数人が様子を見に行くと止まり木から一羽の鶏がぶら下がり、他の鶏はへりの方に寄っていた。更によく見ると、怪しく青白く光るものが見える・・・なんと腹を減らした錦ヘビが忍び寄り一羽の鶏を締め付けているところだった。一同驚いたが、そこはこちらも腹ペコ部隊である。ソレッとばかりねらいを定め頭を打ち抜き死刑に処した。引きずり出すと太さは二の腕、長さは二メートルぐらいもあり一同唾をのんだ。さっそく翌日は陸うなぎと化しタンパク源となったが、貴重な小銃弾とオウムや錦ヘビとの比較論がおきたのも当然である。