第五章 マラリア防瘧工作のこと
着任申告の際、中島連隊長から「貴官たちは、まだマラリアの経験はないだろうが、マラリアで一兵でも多く倒れれば、それだけ戦力が低下する。貴官自らも予防薬を飲んでマラリアにかからないように注意するとともに、下士官、兵に至るまで徹底させるように。」という趣旨の訓辞があった
マラリアの薬品にキニーネのあることやマラリアはハマダラ蚊が媒介するというようなことは常識として知ってはいたものの現実には体験していない。マラリアには童貞だ。
さっそくアテブリン、アクリナミン、プラスモヒン、ヒノラミンといった小粒の薬が配布され指示に従って服用した。にがい。良薬は口に苦しとはいうが、こんなに苦い薬も少ないのではないかと思った。健康には自信があったから、なにもこんなに苦い薬まで飲むこともなかろうとさえ思ったこともある
そのうちに各中隊ごとに何名のマラリア患者がいるという話を聞いて、なるほどバターン作戦に参加してきた将校にはマラリアで体力的に弱ってきている者もあるものだと分かってきた。
各宿舎には、椰子の蕊であんだ縄が下げられ蚊を追う仕掛けがしてあるし、不寝番は腰に同様火縄を下げる。蚊取線香なら分かるが、これで蚊が防げるのかといぶかった。
そのうちに防火膏が渡された。なかなかいい香りがする。(復員の時に持ち帰り今でも嗅いでは昔を偲んでいる。)しかしこんなものを体に塗って果たして蚊が近づかないものかと、またよけいな心配をする。
歩哨に立つときなどに使うために頭からかぶる防蚊面も支給されていた。
しかし、あの小さいハマダラ蚊に絶対刺されないという保障はないし、現実には不可能なことである。
現に何人かの者がマラリアで苦しんでいるのだ。毎日暑いから裸にならないわけにはいかない。しかしながら戦力低下防止のためには、なんとしてもマラリアとも戦わなければならない。南方の作戦では、蚊との戦いを抜くことは絶対にできないのだ。
今日も激しい訓練が終わり、風呂を浴びて宿舎に落着いた。疲れからか、なんとも腰がふらついている感じがする。衿元がゾクゾクする。風邪でもひいたのかなと思った。そのうちに吐き気に近い症状になったとたんにガタガタ寒くなってきた。口がブルブル慄え歯がガチガチとこきざみにぶつかる。
「やられたね」と声があがったが、あとは夢中になって分からない。寒いというか、節々が痛いというのか。毛布を何枚もかぶった。どうしょうもない。頭が痛くなり熱が上っていくのがよく分かる。
とうとうマラリアにやられたのだ。食欲は全くないし、足腰の関節が痛だるい。なるほど戦力低下だ。いくら力んでみてもどうにもならない。四十一度まで熱が上ったそうだ。
翌日は三十七度ほどまで下がったが、翌々日またまた高熱で苦しんだ。その後三年半の間に何度マラリアに悩まされたことか。
軍隊では発熱することを「発熱」とはいわずに、「熱発」(ねっぱつ)という。
熱発という言葉がマラリアに代わる用語として平常用語となり南方作戦の一大障害になるわけだが、第八方面軍は、マラリア対策のことを、マラリア防瘧工作≠ニいう名称で終戦までその対策を怠らなかった。
アテブリン、アクリナミン、プラスモヒン、ヒノラミンなどのマラリア薬も底をつき、カナカ族の生活の知恵からジャングルの中に生えているシマソケイの丸薬が製造されマラリア薬として使用されるようになった。
果たしてこの薬がどれだけの効を奏したのか定かではないが、いずれにしても当初馬鹿にしていたマラリアに早くもラクネにおいて体験し、マラリアの恐ろしさを痛感したものである
「暑い暑いと裸になるが、やがて慄えるときがくる。」とか復員間近かには「暑い暑いと裸になるな、内地期間が遅くなる。」となった川柳は、今にして思えば当初馬鹿にしていた私にとって、なるほどと反省させられたものである。
復員した年の暮に一回だけマラリアにかかった。熱の高さや慄えの様子は戦場におけるそれと変わりなかったが、マラリア原虫がその辺にまき散らされるのではないかと取越し苦労をしたものである。幸い一回発病しただけで終息した。