第二十章 ドラム罐風呂のこと
一段落したわれわれ「カ号作戦」下番部隊も次第に落着きを取り戻した。
あの辛かった永い悪夢、シナップから踊る心を抑え、先着隊員に迎えられて崩れ落ちるように到着したあの日が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
西にバルチザン山を仰ぎ、北へトーマの三叉路を過ぎれば西ゴム林、南東ヘウエイリキ、百数十メートルもあろうか深い渓谷。
ハイビスカスの花やらブーゲンビリアの花が咲き競い、部落にはトウガラシの実がまっかに熟している 。
マーカス岬の戦闘から「カ号作戦」への生き地獄の世界からみれば、まさに天国ともいうべきか。カナカ人はカゴを抱えてビンロウジュウの実をかんではペッペッと赤いつばをはく。ラクネ以来の光景がここでまた再現された。
しかし、これもつかの間、明日の敵上陸にそなえて兵団は再び猛暑の訓練に入る。
訓練のあとの入浴が、これ又楽しみの一つである。戦塵を落とすという言葉がまさにピッタリだ。
戦場での浴槽は、云わずとしれたドラム罐風呂である。将校宿舎専用の風呂場もジャングルで遮断された裏の方に三本ほど簡素に造られていた。四角っぽい石二個の上にドラム罐を置き、中には四角い板を入れた戦場用五右衛門風呂。傍らに簡単な洗い場を備えたというなかなか風流なものだった。
先任順に入浴をすませ渡しの入る番がきた。少しぬるくなっていたし、湯の量も少なくなっていたが我慢した。ドラム罐をまたぐと少しグラグラした。二つの石の上に簡単に乗せた風呂だから当然だろう。ドラム罐だから中でしゃがむとやや狭い。いい気分だ。湯が少ないからちょうど首のところまで浸る。
洗ったりして三度入って汗を流したあと出ようとして立ち上がろうとした。又グラグラした。片足をまたいだ瞬間。
「アッ!」
喉がつまった。
湯の量が減ってドラム罐が軽くなっていたのと、土台石がぐらついたこともあったのだろう。傾いたドラム罐は復元せずに片足をまたいだまま、ドラム罐ごとどどどっと倒れた。裸のまま放り出され残り少なになっていた湯がザザッと流出した。
「アイタタ…。」
したたか腰のあたりを打ったらしく動けなくなった。一瞬恥ずかしいやらこわしたことの責任やらでゾッとした。 近くにいたS主計少尉ほか何人かがどやどやと駆けつけて来た。
「血が出ている!」
私は腰のあたりを恐る恐るさすってみた。ベッとりとした感触がして手をみると真赤な血である。
ドラム罐のへりの切り口で切ったらしい。肘は擦りむくし腰のところがベロベロに皮が離れている。 別の世界。別に裸は恥ずかしいことではなかったが、なんともみっともないケガをしてしまい軍医さんに大変ご迷惑をかけてしまった。
まかり間違ってもタマでもやられていたら戦わずして一巻の終りだったろう。
今でも腰に大きな傷跡が残っており当時の惨状″が偲ばれる。