戦陣の断章

今村閣下の人となりに改めて敬服したものである・・・

第二十四章 軍旗祭でのこと

ラバウル港での敵艦の動きや敵機来襲の頻度から見て、ラバウルに対する敵の上陸の企図が次第に顕著になってきた。

昭和十九年二月十七日のトラック島におけるラバウル海軍航空隊の潰滅以来制空権は完全に敵の手中に陥っていたのである。

夏兵団将兵は、戦策甲発令の仮想の元に、何回か西ゴム林附近に集結し、兵団長以下対戦車爆雷を一個ずつ持って演習を行なった。 方面軍司令官今村大将も現地で染色した暗い渋茶色の軍衣服を着用して視察に来られたものである。かねがね温容あふれた武将軍であることは 仄聞はしていたが、眼のあたりに仰ぎ見る閣下は、案にたがわず我らがおやじと思える風貌と威厳を備えた名将軍にふさわしい風格を備えておられた。

ある日、我聯隊の軍旗祭が行われる事になった。この緊迫した情勢下でも軍旗祭をやるという事は、いかに陸軍における軍旗というものの尊厳さが分かるというものだ。

この軍旗祭にもまた今村方面軍司令官閣下がお見えになられた。演習視察の時とはまた違ったお姿に見えたものである。ジャングル内の粗末な営門前に全将兵が整列してお迎えした。将官に対する儀礼ラッパの吹奏は
「うちのカカァのんきなカカァ、抜けたも知らずに、天井向いて朝まで持ちゃげてたぁ」
という当て歌で知られている「海ゆかば」である。

星の数と同様に少将には一回、中将には二回、大将には三回吹奏することになっており、その間将軍は答礼をして静止していることになる。 案内役の聯隊長に続いて松田兵団長が入ってこられ、
『兵団長閣下にに対して敬礼!かしらぁ中!!』
と号令がかかるや「海ゆかば」が二回ろうろうと吹奏された。松田兵団長(奈良中将、眞野中将、岩佐少将についで四代目)は当時中将であったからであるが、今村閣下には三回吹奏することになる。私はこの「海ゆかば」が好きだ。久しく三回吹奏した場面に遭遇した事がないので、あの荘厳な緊張した光景を期待して固唾を飲んだ。

ところがである!閣下が近づかれると、敬礼の号令のかからぬうちに閣下は即座に・・・

「ラッパはいらない。ラッパはいらない。」
と手を振って中止させ、足早に営門を通られてしまった。決戦を明日に控え、そのような形式的、儀礼的なことは不要だというのだろう。出迎えの全将兵は唖然とする一方、今村閣下の人となりに改めて敬服したものである。

軍旗祭は内地と同様に演芸大会や剣道大会、相撲大会が行なわれ、緊迫した戦場に一時期のリラックスムードが起きた。
梅岡学州氏の詩吟、古守軍医少尉(南雲詩著者。戦陣写真館参照)の相撲五人抜きなどが話題となったものだ。

その日の夕方、今村閣下を囲んで将校団の会食が行なわれた。現地自活で取れた作物が炊事係の腕でうまい料理となり、椰子酒が酌み交わされ、宴たけなわになるとそれぞれの出身地自慢の民謡などが披露された。
私も令を尽くしてお酌をして廻り今村閣下の前で膝を折った!流石に緊張してがくがくした。

大将と少尉、親と子ほどの年の差である。自分の所属と名前を言った後徳利を傾けた。その時、二言三言何か言われたが、周囲が既にざわついているのと 緊張の余り聞き取れなかった。しかし只一つ
『センズリカキばかりやっていては駄目だぞ(笑)』
と大笑いしながら言われたことだけが耳に残っている。

やはり閣下も人の子。卑猥な俗語で座を作るあたり、人間今村の片鱗を伺い知れたような気がして、ホッとしたものである。