第三章 侍従武官御差遣のこと
十八年の三月だったか。夏兵団に侍従武官の御差遣というお達しがあり、光栄にも私がお立ち台の建設隊長を仰せつかった。ラクネから約一キロほどの田浦寄りの椰子林が建設候補地に選ばれ、各隊からシャベル、モッコなどをかついだ使役が集められ毎日二十人ほどが隊列を組み防暑たれをなびかせて建設現場との間を往復した。高さ二メートルほどのお立台だが万が一のことがあっては大変なことだ。
雨が降ればドロドロになる。こんなにも汗があるのかと思うほど流れ出る。毎日必ず誰か将校が監督に見える。そのつど作業を止めさせて「作業ヤメ!○○殿に対してカシラーナカッ。直レ。作業隊長以下○名作業中デアリマス!」汗と泥でまみれた作業員は一時作業をやめて不動の姿勢になり監督将校の許しがでて又作業にはいる。戦場にはもちろん土盛りのための芝その他気のきいたものはあろうはずがない。椰子の丸太や雑草をうまく使って組立てていくわけだ。日本の兵士は皆器用だ。みるみるうちに高くなっていく。私はいちいち上に登って踏んでたしかめた。ぐらぐらする。又たしかめる。一週間で立派(?)なお立台が出来上った。
坪島侍従武官を無事お迎えして退任を果たしたが、武官が昇り降りする僅かな時間が私には永く永く感じ暑いどころの話ではなかったことは申しあげるまでもない。台上の土の感触を今でも忘れ得ない。