「けさも軍隊の夢を見たよ。」と、とりとめもない断片的な夢のくだりを話す。
皆が整列を終わっているのに巻脚胖(ゲートル)が巻けない、巻き終われば今度は自分の銃が見つからないといったイライラ場面から、猛訓練を受けた久留米の予備士官学校を訪れて懐かしがったり、戦場だったところにまた行かねばならなくなったりという具合だが、夢のこととて現実ばなれしていることはいうまでもない。
僅四年半、今振り返れば取るに足らない年数である。軍国調のいやが上にも満ちあふれていた当時、健康な男子であれば避けて通れない関門ではあったが、私にとっては軍隊生活は誇り高き男の生き場所とさえ思った。 もっとも職業軍人のせがれとしての血が騒いだのかも知れない。 しかし、いまだにこれだけ瀕繁に軍隊時代の夢を見るということは、最も感受性の高かった青春時代に体験してきた将校生徒としての激しかった猛訓練やらタマの下をくぐってきた戦闘やらが強烈に脳裏に焼きついている証拠だろう。
最近とみに記憶力が低下して自分ながらあきれかえっているが、せめて夢ではない本当だった話を今のうちに残しておかなければと思いメモしはじめた。ところが、日時に関することはもちろんのこと、距離感、果ては場所などもことごとに忘れている。せめて実話の一部でも書けたらと思いつつ筆をとった。
この記録は人に読ませる「著書」でもないし、血なまぐさい戦記でもない。私の体験した失敗談やらこんなこともあったなあといったエピソードなど、いわば日附けのない自分のための日記帳である。歳成らば燃ゆるひとみに 吾が子読む 父らゑがきしラバウルの史をという立派な歌が終戦後現地で読まれたが、戦史でもないからこういう大げさな意図も毛頭ない。復員までの僅かの期間に記録しておいたメモと持ち帰った何冊(枚)かの資料は記憶を呼び起こすのに役立ったが、今にして思えば何にもかけがえのない宝を持って帰ったものだと思っている。大切に保存するつもりであり、文中ところどころでそれらを引用した。
戦争はもうこりごりだ。しかし私の戦争体験は死ぬまで私の脳裏から離れないだろうし、死んだらおしまいなので活字にして残して置くことにした。記憶違いも多々あることと思われる。 この記録を、還暦誓い一初老の思い出話しぐらいのおつもりで読んでいただけたら幸せである。
と き 昭和十八年一月十四日より昭和二十一年5月十七日までの間。
ところ 日本を南へ約四、五百キロ、赤道を超え南緯四度のあたり。
ラバウルのあるニューブリテンの戦場。元歩兵第百四十一連隊(原隊 広島県福山市)
元陸軍中尉 塚本 博利 記 昭和五十四年冷夏の終戦記念日に