暑い。暑い。われわれ新米将校たち一行は、毎日戦場の現場で指揮官としての猛訓練を受けた。久留米の予備士官学校当時、赤土の高良台演習場で服までグッショリ汗と土にまみれて馳け這いずり回っての訓練を受けたのを思い出す。こちらは赤道直下のジャングルだ。湿度こそ違え、暑さが一段上なのは当然である。教官は陸士五十五期の酒井古参少尉(のち大尉)。同年輩ではあるが、さすがに気合が入っている。
陣地攻撃、夜間攻撃、追撃、防御その他各種戦闘指揮全般にわたり現地に即した実戦演習で叩き込まれた。時折敵偵察機の爆音がはるか上空を通りぬけていく。指揮を誤ればそれだけ多くの犠牲者が多く出るのだから教官もわれわれも真剣だったことはいうまでもない。夕闇迫るころ訓練は終わり汗だくで部隊を引率して駐屯地に戻る。
さすがにグッたりするが、明日への闘志と敵愾心を一層そそり興奮を禁じ得なかった。
顧みると福山の原隊で幹部候補生に合格してからの教育隊、将校生徒としての予備士官学校を通じ、短期間での将校養成だけに訓練は厳しく、兵として、分隊長として、中隊長として、あるいは小哨長、前哨中隊長として、歩兵操典、作戦要務令などに基づく一通りの訓練を受けた。タコ壺なども仮定ではなく実際に身長ほどの穴を掘ったものだ。
猛暑の訓練中、一候補生が「エツ病(日射病)」で死亡した。しかし訓練は緩和されることもなく、むしろ強化された。
あるときは、激しい演習を終わり演習場から約三キロの岐路を完全軍装に防毒面をつけ駆け足で帰校し、校門からそのままの姿で中隊舎前まで匍匐前進、やれやれと思いきや
10分後に防具をつけて整列せよという。銃剣術だ。これほどの猛訓練を受けたこともある。体力と根性の養成だ。
しかし演習のほとんどが大陸戦対象のものであり、所詮は南方のジャングル戦には通用しなかった。
ここラバウルの演習場での演習は、文字通り実戦そのものである。内地で教育を受け得られない幾多の体験を身につけた。
遥か高い空に時折B17などが飛来する。遮蔽する。ラバウルのわが高射砲陣地から遊撃の砲が撃たれる。
訓練が続く。酒井教官の罵声が飛ぶ。
汗だくになってジャングルをかき分ける。
今日もまた夕闇せまるころ帰営するが、われわれ新米将校も次第に現地の気候と地形に即した指揮法を会得しはじめた。未だ実戦の経験のない新米将校。これから対決するであろう敵さんに対し果たして部下を統率して戦えるのか。われとわが心を疑った。
敵愾心ばかりがはやる。明日の戦闘を夢みて。