十八年四月ごろから連隊ではニューブリテン島西部へ移駐する話が伝わり準備に忙しくなってきた。 西部のニューブリテン島の態勢を強化し、ダンピール海峡一帯の確保を企画したものだ。

 隣接する東部ニューギニアには、私の生まれ故郷のいわゆる郷土部隊五十一師団(基)や第四十一師団(河)、 兄連隊の歩兵第四十一連隊が苦戦している旨聞かされ、私は一層胸の高まりを禁じ得なかった。 ダンピール海峡というこれまた名にしおう有名な海峡である。

わが第一大隊は兵団司令部ととも先発することになり五月に入ると急にあわただしくなってきた。

 五月十一日。武装を整えたわれわれ先発隊二一〇名は、思い出覆い駐留地ラクネをあとにしてラバウル桟橋から駆逐艦に移乗した。 長月とか皐月とかいう睦月型の一等駆逐艦が協力してくれたが、輸送船で内地からやってくる時に援護してくれた駆逐艦とは又違ったたのもしさを感じさせてくれた。

 私も初めて乗る駆逐艦には大いに好奇心をかきたてられたものである。狭い艦内はきちんと整頓され、われわれ陸軍部隊輸送の応対マナーも立派で感激した。 鉄のかたまりともいえるような狭い艦内の生活はさぞ無味乾燥なものではないかと同情もしたくなる。

 いつの間にか艦は出発していた。いつ爆撃に、魚雷攻撃に合うか分からぬ陸軍部隊の輸送に海軍さんもあるいは迷惑だったかもしれない。 私は好奇心から艦外へ出てみた。すごいスピードであり、手をおろせば海面に届くほど吃水が深かった。 前方を見ると高い水しぶきがザブンバサンと前甲板を洗う。実に勇敢だ。思わず軍艦マーチを口ずさみたくなる。 船酔いには強い私だが、この力強い駆逐艦の進撃ぶりに感激し興奮の余り心酔した。時間の感覚も忘れる。

 駆逐艦は北へ北へと進む。どこまで北上するのだろう。敵から目を欺くための陽動作戦だそうだ。 われわれは考えた。こんなに北上を続けては却ってそれだけ上陸までの時間がかかり不利になるのでは・・・・・と。

 急に方向が転ぜられ艦は西南方へ向った。 目的地に直行か。西部ニューブリテン島とはいってもどこなのか興味と不安とが交錯する。

 十二日夜。艦のエンジンが止まった。上陸準備に忙しくなる。そとは真暗だ。隊は人員を確認し、 武装を整えて順次迎えの大発に移乗しはじめた。足もとがおぼつかいない。大発はゆれる。 月明りでかろうじて大発に移り逐次海の中へ降りる。水がひやりとつめたい。

 海面のうねりが不気味だ。銃を上げ、軍刀を高くかざし手をとり合って陸地へと向う。 駆逐艦よ、大発よ、海軍さんよ有難う。感謝の意をこめて波打際から手を振った。 沖合いに駆逐艦のシルエットがたのもしく写る。又行動を秘匿しながらラバウルまで帰投するのか。ご苦労なことだと思う。

 下半身がびっしょりになった部隊を掌握し、敵に発見されないためにも暗いうちにジャングルの中へと行動をおこす。 よく無事で到着できらものだと冷汗をおぼえた。

 上陸したところはツルブという。この辺一帯はグロスター岬。一帯はラクネあたりではみられない昼なお暗いジャングルである。 上陸地点から入ったあたりは湿地帯で人道のほか道らしい道もなかった。先発隊(兵団司令部とも)は暗やみの中を東へ東へと進み、 夜明けを待って宿舎づくりに着手する。海岸に近いせいか割合に涼しかった。

 更に東に進むとツルブ飛行場の整備も任務の中に入っており警備態勢の強化、 東部ニューギニア方面への兵站輸送等、ツルブ地区における夏兵団の活動が始まる。

 兵団主力のラバウルからの輸送は、月暗期を選んで行う駆逐艦輸送の関係で七月下旬から八月上旬に延期された。 ここに充当された一等駆逐艦三日月と有明は七月二十八日の輸送の帰路、 グロスター岬沖で坐礁しノースアメリカンB25の攻撃に合って撃沈されたという。 陸軍部隊輸送の帰路の犠牲であり、本来の海戦によってでの沈没でないだけに同情を禁じ得ないところである。