夏兵団の歩み |
昭和十六年 |
八月十四日 |
第六十五旅団編成 |
|
九月十日 |
|
|
十一月八日 |
歩兵第百二十二聯隊編成完結 |
|
同日 |
第六十五旅団の秘匿名を夏部隊と呼称 |
|
同日 |
旅団通信隊編成 |
|
同日 |
歩兵第百四十一聯隊編成完結 |
|
同日 |
歩兵第百四十二聯隊編成完結 |
|
同日 |
旅団工兵隊編成完結 |
|
同日 |
旅団野戦病院編成完結 |
|
十一月十三日 |
福山屯営出発(一部前夜出発) |
|
十一月十四日 |
宇品港出航(諏訪丸・主基丸) |
|
十一月十五日 |
門司港にて第十四軍隷下に入る |
|
十一月十九日 |
基隆上陸−汽車にて−宜蘭に宿営 |
|
十二月七日 |
嘉義白河廠舎に宿営 |
|
十二月八日 |
「宣戦布告」(航空隊ルソン島中北部敵飛行場急襲) |
|
十二月九日 |
(マニラ周辺飛行場撃滅) |
|
十二月十日 |
(第十四軍の一部ルソン島アパリに田中支隊ビガンに菅野支隊上陸飛行場占領。 |
|
十二月十二日 |
(ルソン島南部レガスビーを占領) |
|
十二月十六日 |
嘉義の大地震 |
|
十二月十七日 |
(第十六師団主力二十四隻の輸送船にて奄美大島出航) |
|
十二月二十二日 |
(第十四軍(四十八師団)リンガエン湾上陸 |
|
十二月二十四日 |
(第十四軍(十六師団)ラモン湾に上陸 |
|
十二月二十六日 |
(マニラ非武装都市宣言) |
|
十二月二十八日 |
第十四軍上記通報受ける |
|
十二月三十日 |
夏部隊 台湾高雄港出航 |
昭和十七年 |
一月一日 |
フィリピンリンガエン湾サンファビアン北方「テンプラ」海岸に上陸 |
|
一月二日 |
(第十四軍(四八師・一六師)マニラ占領) |
|
同日 |
バターン半島強行軍、ロザレスに到着 |
|
一月三日 |
夜、タルラックに前進(二泊) |
|
一月五日 |
早朝タルラック出発、ポーラックに前進。重砲隊サンホセ附近砲撃中クラーク飛行場占領 |
|
一月六、七日 |
両日ポーラックに兵力集結 |
|
一月八日 |
ポーラック出発・グメイン河にて水牛事件発生。午後四時バターン半島入り口デナルビアン到着(午後六時ごろ軍令にて四八師と六五旅団戦線交代) |
|
一月九日 |
クーリスに部隊集結 台湾歩兵第一聯隊と第一線交代左翼隊となる。午後三時信号弾黄龍を合図に攻撃前進、夜半ムラウィンに到着 |
|
一月十日 |
夕刻ナブチ山から東流するカラギナン河左岸台上に達す。 |
|
一月十二日 |
第二大隊長・服部少佐戦死 |
|
一月十四日 |
ラバンガン川(バランタイ川)左岸台上に達す。 |
|
一月十五日〜二十日 |
激闘続く |
|
一月二十四日 |
ナブチ山麓第一主陣地アブカイハシエンダ攻略に引き続き追撃前進、サマット山麓敵陣地前に対峙攻撃。 |
|
一月二十七日 |
ピラール川を渡河、サンピセンテ川支流南北岸の敵を攻撃。 |
|
二月四日 |
午前二時 アボアボ河谷に集結。一ヶ月ぶり敵砲弾の死角に入り緊張を解き露営。 |
|
二月七日 |
第二大隊長・服部少佐の後任に立川中佐着任。 |
|
二月二十三日 |
四粁後退しナブチ山南麓トング附近に陣地確保 |
|
三月九日 |
以来数次に互り内地より兵員補充を受ける。 |
|
三月二十八日 |
夜襲に依りティアウェル河左岸台端に進出。第二次総攻撃準備。 |
|
三月四日・四月二日 |
封鎖戦及第二次総攻撃準備 |
|
四月三日 |
第二次総攻撃「ティアウィル」河畔の戦闘。 |
|
四月四日・八日 |
「リマイ山」に向かう追撃戦。 |
|
四月九日・十七日 |
バターン戦終結後サンフェルナンドに集結。 |
|
四月十二日 |
第十四軍の部署により北部中部ルソンの治安回復。 |
|
七月十三日 |
北部中部ルソン島戡定作戦 |
|
八月一日・十一月二十三日 |
フィリピン第二期戡定作戦 |
|
六月十五日〜十一月二十四日 |
マニラ防衛 |
|
十一月二十七日 |
マニラ港出発 |
|
十二月三日 |
西南太平洋戦「ニューブリテン島ラバウル」上陸。西南太平洋戦。 |
昭和十八年 |
四月三十日/五月一日/十月三十一日 |
第一次ビスマルク戦 |
|
七月三十日〜十二月二十六日 |
飛行機に依りラバウル出発ニューブリテン島西端ツルブに前進、ツルブそしてブッシング附近の警備。 |
|
十一月一日 |
第二次ビスマルク戦 |
|
十二月十三日 |
軍令陸甲第一〇八号に依り歩兵第百四十一聯隊編成下令。 |
|
十二月十八日 |
|
|
十二月二十日 |
編成完結。 |
|
十二月二十六日 |
戸伏大隊小森支隊と合流成功。以後マーカス岬の戦闘激化。及びツルブ附近の戦闘。 |
昭和十九年 |
一月四日 |
連合軍マーカス岬に対し徹底的な砲爆撃を開始 |
|
一月十六日〜 |
連合軍砲爆撃後、敵戦車侵入。 |
|
|
戸伏大隊敵戦車撃退なれどマーカス岬全体は焦土と化す。小森支隊、飛行場確保の任務に伴い飛行場西地区へ。夜間計画通り完了す。 |
|
一月十八日 |
アラウエ(メッセリア)飛行場にて布陣した支隊に十七師団司令部から「敵の飛行場設定企画を破摧せよ」との命令下る。 |
|
一月二十七日 |
「カ号作戦」発動に伴い、各部隊徐々に転進開始。 |
|
二月九日〜 |
戸伏大隊に対し「引き続きマーカス地区で最後まで敢闘すべし」という趣旨の命令下る。 |
|
四月二十九日 |
第三次ビスマルク戦 |
|
十一月?日 |
第四次ビスマルク戦 |
|
十二月二十六日 |
正午、師団司令部から「タラセアに向け移動すべし」との命令下る。二十七日〜二十八の両日に渡りディディモップから北上開始。 |
|
十二月二十八日〜 |
午前五時頃、戸伏大隊小森支隊ブリエ川渡河。「カ号作戦」に基づく転進開始。一路ラバウルへ! |
昭和二十年 |
四月二十日 |
ニューブリテン島全部隊集結完了(一部除く)ラバウル防衛。 |
|
八月一日 |
剛方作令第一○二四号に依り編成改正下令。 |
|
八月五日 |
編成完結 |
|
八月十四日 |
終戦の大陸令発令 |
|
九月一日 |
軍旗捧焼 |
昭和二十一年 |
五月十六日 |
名古屋港上陸 |
図鑑、教科書、現地生産主食食継状況調べ、農産物調査票 |