ラバウル〜南十字星


  統萬(トーマ)集団。 「トーマ集団」には第八方面軍司令部が入っていた。 各集団を概ね1万人に割り振り、将官クラスは一つの集団にしたから各集団の長 は大佐であった。 わが集団は「トーマ」すなわち「統萬」、「萬を統べる」ということで、 方面軍司令部が属していたからこの名称にしたらしい。 終戦後豪州軍が進駐してこのような編成にされたのである。 その後の辛い苦労話は既報のとおり。  この項ではトーマ集団での活動内容や出来事、塚本氏と関わりのある人物(戦 友や知人) そして自分自身ラバウル〜トーマ繋がりで偶然出逢った方々を紹介 して行こうと思います。ブログから始めた戦陣の断章、サイトの製作に取り掛か り数ヶ月が過ぎた。なんと言っても膨大な資料の数々をあまり専門的にせず、 解りやすく且つ正確に記することを念頭に置き作成してきた。 様々な単語で検索し偶然にも当サイトに辿り着き情報交換をする様になった個人 や団体の方々がいる。 自分はこのような繋がりを出来れば大切にしたいと考える一報で、著しく正確さ を欠いた書籍のミスリードに対してささやかな回答を示そうと考えた。 広大な戦場のあくまで一方面の事柄に過ぎない事だとは理解しているつもりだが それでもやらないよりもましだろう。

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 第八方面軍は西部ニューブリテン島に展開していた陸軍部隊全将兵を、ラバウ ルに集結させ爾後の長期戦を念頭に置き、 カ号作戦を発動。持久戦を実施しラ バウルの防衛に努め、来る連合軍大上陸部隊に対し、物資乏しい中で万全の態勢 で迎え討たんと準備していた。壮絶なカ号作戦は別項で記すこととするが、 ラバウルに敵が上陸を果たすのは、八月十五日の終戦以降であった。 ラバウルの陸海軍将兵は武装解除しそれぞれの集団に分けられた。 塚本中尉は夏兵団のトーマ集団に所属、敗戦で落胆した将兵の自殺防止の任につ いていた。  8月15日 全将兵がよく聞き取れない無線電波で終戦の玉音放送を聞く。よ く意味が判らず 翌16日初めて細部を理解。 さあそれからが大変でした。無念 の気持ちを押さえながら部下に対し軽率な行動を慎むよう説得です。自分でさえ 自決を考えておりましたからとても深刻な問題でした。 (塚本氏談) 「ましてこれまで負けたという実感を知らない私には信じ難い屈辱だったので す。」 「それは大変でしたよ、私自身自決を考えたことがありますから」と 語ってくれた。 ラバウルに集結した陸海軍全将兵は、終戦後各地に設置された収容所に収容され た。 約一万人ずつ八集団と四つの作業団に分けられ、第八方面軍司令部1041 名、第六十五旅団司令部151名、歩兵第百四十一聯隊2081名を含む11065名は、 第九集団(トーマ集団)としてラバウルから南に約25kmのトーマという地区の収 容所に収容されたのである。 八月十五日の玉音放送はノイズ混じりで音質が悪 く解読するのに時間が掛かり、 翌十六日に全将兵に伝達された。壮絶な戦闘を 経験し地獄のカ号作戦に基づく転進。 ラバウルを一大要塞に作り上げ敵の上陸 を待たんとした将兵達の間に多くの悲劇があった。 「自決」である。 あれだけの戦闘を経験しても「日本が負けるはずはない」と固く信じていた将兵 達は落胆し、未来を見つめる事無く自決という手段を選んでしまったのである。 これは職業軍人の方々に多く見られたものであるが、著者も一時は真剣に自決を 考えたという。しかし武装解除後すぐに第八方面軍今村閣下と参謀本部からの命 が下る。  先ず将兵の自決を思い留まらせる。 焦土と化した祖国日本の復興の為にさまざまな教育や職業訓練など立案実施されたのである。 各部門の専門家が集められ、多くのプロジェクトチームが編成された。 10代の後半から入隊し軍隊しか知らない将兵達。 多く彼らはまさに「軍隊」しか知らない職業軍人である。 軍隊という職場が解体されてしまったら長年築いてきた軍隊での経験が無になり、途方にくれてしまうだろう。 そこで先ずはレクリエーションで傷ついた将兵の心を癒す事。 懐かしい歌、のど自慢、芝居、演芸、音楽演奏などのレクリェーションは次第に本格化し映画鑑賞会も実施された。 レクリエーション集団は陸海両軍多数結成され、 もう後がないと思い詰めていた将兵達に望郷の念を蘇らせた。 これは自決防止に大いに役立ったに違いない。 そして次は学問である。 理化学、英会話、農業技術などの必要性の高い教育を実施した。 これらに欠かせないものはやはり教科書である。 各プロジェクトチームは各種教科書の製作に着手。 現行の教科書と比べてみても劣らない物が完成した。 これから紹介する各種教科書は著者が戦地から持ち帰ったもので、 ガリ版刷りで作成された教科書である 塚本班は今村閣下と参謀本部の命を受け植物図鑑等の作成を指揮する事になる。 軍隊生活しか知らぬ猛者達が復員しても困らぬように、国語、英語、諸図鑑、理 化学などさまざまな教科書が製作された。 軍隊という所はまさに英知の集結している集団なのだと思わざる終えない。 今でいう所の小中高校教師、大学の教授、医者、エンジニア等々さまざまな職種 の方が兵士として勤務していたのである。 方面軍集団となると映画、舞台俳優、歌手、音楽家まで実に幅広い人材が存在し ていたわけである。 なるほど、今村閣下と参謀本部はそこに目を付けたのだろう。 戦には破れたとて全てが終わりではない。 次は荒廃した日本を立て直すマンパワーが必要である事を既に想定していたのだ。 これら各種教科書は著者が戦地から持ち帰ったもので、 ガリ版刷りで作成された教科書である。 恐らくこれを持ち帰った人は少ないだろう。 ラバウル会、戦友会などでも「これらを持ち帰ったいった話は聞かなかった」と塚本氏は話してくれた。

統萬(トーマ)集団及び各集団
 

 

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