在ツルブ中、光栄にも兵団司令部で兵団長真野中将閣下の身辺で勤務することになった。閣下の宿舎で奉仕することは気がつまる。閣下ばかりでなく大姑、小姑の高官が大勢おられるし、隷下各部隊長の出入りも多いからだ。

 私は椰子の木と竹をかつらでしばって作った閣下のベッドの下で寝起きした。公私共に奉仕をする職とはいえ将軍と下級将校の格差に最初は暑さと堅苦しさで寝つかれぬ夜が続いた。「鞄持ち」という言葉があるが、閣下のお伴をするときよく軍刀をお持ちした。将官用の黄色の刀緒がまぶしかった。ずっしりと重量感のある将軍の軍刀は一度拝眉の栄に浴したい欲望をそそったものである

 ある日おそるおそる閣下に軍刀拝眉のお願いをしたところ快諾されたので古流に従い抜刀をした。 光彩を放って抜かれた刀の刀身はなんと両刃だったのである。しかも鍔のすぐ上には両面に鮮やかに登り龍と降り龍の彫刻が刻してある。 銘をお聞きしたところ正宗とのこと由緒のある名刀であった。

 数多くの軍刀に接してきたが、そりのある両刃の軍刀は初めてである。 河兵団長(第四十一師団)としてニューギニアのウエワク地区で終戦を迎えられたあとのあの見事な軍刀はいったいどうなったのか惜しいことである。


「追記」

 豪州の戦争記念館には、嘗ての日本軍人が所有していた由緒ある軍刀9本が展示してあり、刃が錆びないように時々 福岡市の刀剣研磨師「梶原福松さん」のところに研磨を依頼していました。

愛知県尾西市に住む真野閣下の家族が、閣下の所持していた 軍刀が両刃の正宗の名刀であったことを知っていて行方を長年探して いたようです。

 豪州から届いた資料の中に「マノ・ゴロウ陸軍中将が所持していたものが含まれる」との連絡を受けた家族が早速梶原さん宅を訪問し、刀と対面して確認し、感激してあらためて返還してもらうべく梶原さん ともども要請したそうです。

しかし結果は、実現を見ずに再び豪州に戻されてしまいました。