マーカス岬に連合軍の上陸を迎えた第八方面軍は、既述のとおりその撃滅に努めつつ、この間ツルブ、ガスマタ等多方面 に対する警戒を一層強化するよう指導していた。 マーカス附近の戦略上の価値や、同地に対する連合軍の上陸規模からみて、引き続き連合軍は他方面上陸するのではないか?と、方面軍では判断していた。 方面軍のこの考えに基づき、第十七師団長は松田支隊及び平島支隊に、担当正面に対する警戒の強化を命じるとともに、部隊の展開の促進その他各方面の態勢強化のための措置を講じていた。
グロスター岬の方面ツルブを中心として地区別に分けると、右側にエボン、シリマチ岬、ナタモがあり、 この地は三角山、萬壽山がある。中心左側にウラマインギ、カリンギ、ラグーン岬、ドルフ、タワレとなる。
松田支隊に対して措置した事情は次の通り。 一、野砲兵二十三聯隊の展開を促進すると共に、ウインボイ島の山砲中隊をツルブ附近に転用する。 二、歩兵第五十四聯隊第七中隊をタラセアに配置して、ニューブリテン島北岸の戦況に即応しうる如く準備する。 三、高射砲の地上射撃を準備させて砲兵の不足を補う。 四、ツルブ、ガロベにある患者、負傷者及び非戦闘員を成るべく速やかにまずマラリア(ガブブ)附近に後送し、第一線の戦力維持を容易にする。 五、ガロベ島の軍需品をカライアイ及びナタモへの前送を促進する。 六、舟艇の敵機による損耗を防止する。
師団のこれらの処置によってウインボイ島の野砲兵第十四聯隊第九中隊は、第五十一師団の臨編歩兵若干と共に、十二月十七日ころニューブリテン島に転進した。 松田支隊長は、この部隊を左地区(53i)に配属して、タワレ〜アイシガ間の強化に充てたほか、支隊予備隊である歩兵第五十三聯隊第二大隊を、 マガイラプア付近に集結し、各隊の陣地増強を督励し患者の後送を促進する等、作戦準備の強化に努めた。 以上のような措置が逐次進行する間、連合軍の空襲は一段と激化していた。特にツルブ方面に対しては、連日100〜150機が来襲し、 主として飛行場付近および飛行場からナタモに渡る海岸一帯に、熾烈な銃爆撃を加えた。その結果、日本側の陣地設備等の破壊は著しく、 海岸のジャングルも巨木も飛散して相貌一変し、連合軍の上陸企図の濃化を思わせた。
この間、ラバウルにも連日大編隊による空襲があり、激撃に任ずる戦闘機搭乗員の疲労は急増していた。 カビエンは十二月二十五日、米機動部隊の攻撃を受けるというような状況であった。 したがって連合軍の空襲の激化に伴い、ツルブ方面に対する輸送は著しくその困難の度を加えてきた。 従来ラバウル〜ツルブ間の中継基地として利用されてきたガロベ島に対する駆逐艦輸送も中止のやむなきに至り、 揚陸地はガブブに変更された。沿岸大発輸送も被害が逐次増大していたことはもとよりである。
ツルブ正面に対する連合軍上陸の時期近しと判断した第十七師団は、十二月下旬西川参謀を同方面に派遣し、 方面軍も同時に久納参謀をツルブに派遣した。両参謀は十二月二十五日ツルブにおける視察と連絡任務を終了して、 翌二十六日、西川参謀はカライアイに、久納参謀はガロベ島に到着したが、その日、ツルブは連合軍の上陸を迎えたのである。
なお以上の間、方面軍は他にも重要な作戦上の処置を行なっていた。その一つは、ニューギニア方面、第十八軍に対する指導である。 当時、第二十師団はダンピール海峡西岸ワレオ付近にあって、側背に対する連合軍の新上陸の脅威に曝されつつ、依然敢闘を続けていた。 マーカス岬の戦闘開始後間もなく、方面軍は遂に同方面の戦力の低下と補給困難の実情に鑑み、フィンシ奪回企図を放棄することとし、 十二月十七日、第十八軍に対して爾後ラコナ付近以北シオ付近にわたる間で持久するよう命令した。
二番目の重要措置は、ニューアイルランド島に増加されることになった独立混成第一聯隊を、第三十八師団長の指揮に入れて、 ラバウル周辺の要地を更に強化する事とした。十二月二十日、第三十八師団に与えられた作戦任務は、歩兵団長の指揮する歩兵五個大隊、 砲兵約二個大隊その他の部隊をニューアイルランドに派遣すると共に、主力を持ってケラバット川およびワランゴイ川以北のラバウル要域と、 ヨーク島(ラバウル東約25q)ワトム島((同北西10q)を確保するほか、ズンゲン付近とジャッキノット湾岸に各一部の兵力を 配置するよう命ずるものであった。また、この命令によって、第三十八師団と第十七師団との間の捜索警戒地境が、トルル川とスルを連ねる線に定められた。
歩兵第百四十一聯隊長片山大佐は、十二月二十六日昼過ぎ「エガロップ付近へ転進集結」の支隊命令を受領した。 急遽主力の移動を処置して支隊命令に従ってブッシングとアイシガに各一個中隊を支隊直轄として残置し、在ニゴールの部隊は、 午後三時緊急集合し集結を終えた。聯隊長は爾後の指揮を第二大隊に托し、一部と共に先行、二十七日夕刻エガロップに到着した。 松田支隊長は当面の状況を示した後、聯隊長に次のような支隊命令を下達した。
一、支隊は依然重点をナタモの敵に指向し、歩兵第百四十一聯隊の戦場到着と共に攻勢を再興し敵を殲滅せんとす。 二、歩兵第百四十一聯隊長は直ちに左の部隊を併せ指揮し、聯隊の戦場集結と共に速にナタモの敵に対し攻撃を開始之を撃滅すべし。 以下省略 片山聯隊長は、この命令に基づき逐次到着する部隊をマガイラプア付近に集結させて攻撃の準備をした。部隊主力は困難な徒歩道の 兵器、弾薬、糧秣等の担送のため若干の渋滞が生じたが、一月一日には概ね集結を完了した。 そこで、片山聯隊長は翌二日から重点を三角山に指向して当面の敵を攻撃するよう企図し、その旨を報告したが、松田支隊長はブッシング、アイシガに残置した 各一部の部隊にも集結を命じているので、これらの部隊の到着を待って、努めて大きい兵力で攻撃するよう指示した。 そこで片山聯隊長は攻撃開始を一月三日黎明と決定した。
※ダイアリーでも前述している事だが、 片山聯隊長の眼光鋭いその写真を初めて目にしたときの事、私は塚本氏にこう訊ねた。 私「片山聯隊長はおっかない人でしたか?」 塚本氏「いえいえ見たとおりの優しい方ですよ」