DIARY OF WAR


 Diary No.40 「戸伏大隊長の言葉」

 旧軍の連隊には、連隊本部に連隊長以下連隊副官、本部付き将校、連隊旗手、主計、軍医、 獣医などの将校と相当数の下士官兵が配置されていた。 連隊旗手は軍旗を奉持する役目で連隊内の最右翼の少尉が任じられた。連隊は通常3こ大隊からなり、大隊本部には大隊長以下連隊と同様の職種の将校と若干の下士官 兵が所属していた。3名の大隊長は先任順に第1,第2、第3となる。

 私の所属していた第一大隊本部の戸伏大隊長は、陸士44期で都城連隊に配属されていた時に連隊旗手をやっていたから最右翼の少尉だったのであろう。私の同級生で陸士に進んだ者は55期であったから11期先輩である。 我々の連隊には陸士出の将校が割合少なかったため、私のような 甲種幹部候補生出身の将校が、大半を占めていた。幹部候補生出身の将校は、昇進も先が知れているだけに勇敢な者が多かった。 連隊主力が苦戦したツルブの戦闘では、第2大隊乙副官だった藤山虎也少尉は、 甲副官が戦死のあと副官業務を遂行中、大腿部に盲管銃創を受けてしまった。(彼は、福山の連隊から久留米の士官学校に至るまで同期、同室の仲であった。)

 副官とは、あくまでも長の補佐役ではあるが、時には長に進言することも重要な役割を持っていた。(旅団以上になると数人の参謀職が、担当の職務について将帥を補佐する。高級副官、専属副官も同様である。)

 一般社会における教頭、副学長、専属秘書なども同様なポストで、 単に長の前の1段階ではない筈である。

 戸伏大隊長から「優秀な副官が、優秀な将軍になるのだ」という教えを受けたことがある。 「陸(海)軍大学校は、優秀な副官を養成することを目的とする」とあるように、この言葉が 如実に物語っているであろう。一般には「陸大は優秀な将帥を養成するところ」と誤解されているのではないだろうか?


Diary No.041 新谷元中尉との縁
 

 

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