Diary No.35「忘却の彼方」
長い人生の間に昔経験したことを次第に忘れていくことは自然なことであろうと思う。 しかし、生命にかかわるような重大な事柄はそう簡単には忘れられないものである。 生命を賭けた戦闘体験もその一つと言えよう。 しかし、極限の体験の中には例外もあることを身をもって体験した者がここにいる。 約2カ月にわたるマーカス岬の戦闘中、われわれ大隊本部将兵は、殆ど壕内の生活であった。 大隊長と副官、軍医、主計それらに付随する下士官、兵らは、おのおの壕を掘り、互いに 連絡しあいながら本部の職責を行っていたのである。 昭和19年1月16日、空陸海からの一斉攻撃を受けて始まった「マーカス岬の戦闘」は、 在ラバウル第8方面軍司令部のある「ニューブリテン島」に始めて敵の上陸を許すという 戦闘でもあり、上層部からも注目される戦闘に位置づけされていた。 それだけに将兵一同緊張していた。 ここで・・・今に至るも細かい記憶から消えている事象がある(大げさな表現だが)。 この期間中の食事と睡眠である。 毎日、四六時中砲爆撃にさらされている対敵中、どうやって食事をとり、 どうやって夜間睡眠をとったのか。炊事は当然壕の中。 飯ごうはあっても米、水、燃料、マッチは勿論、夜は火が外から見えないような配慮が必要。 我々本部は、当然ながら「部下に対する命令の下達」、「第一線からの報告受領」、「伝令の派遣」などで昼夜の区別なく 日夜忙しい日々であった。 人間食事と睡眠なくしては生きていけない。 不思議に思われるだろうが、現在詳しい記憶がないのである。 当番兵がそれぞれ苦労されて職務を遂行されていた事は当然である。 これらの方々からは失笑を買うかもしれないが、まさに「戦場のような忙しさ」ずばりの戦闘中である。 戦闘職務優先の極限状態の中にあっても、生きていくためのことはちゃんとやってのけたのである。 約2カ月に及ぶラバウルに向けての「カ号作戦参加」転進。この間、食料は全くなし。 河を渡り、河口を横切り、敵に発見されないよう夜の炊事の火は遮蔽。 バナナの芯、土民の作った「タロ芋」、木の実etc.食べられるものはなんでもという極限状態。 600キロの道のりをよくぞ歩ききったものと思う。 途中、自分の体力を知り、手りゅう弾で自爆する者数知れず。 増水中の大河を渡る際、倒木で作った橋から落ち、水に溺れて死んだ者。 この間、夕刻宿営に写るやバナナの葉などで簡易屋根作製、食料の調達。 みな兵が分担して行った。毎日これの繰り返しである。 まともなものを食べていない将兵の便は白くてべチャーとしたものであった。血便も出た。 髭は茫々、衣服、靴は破れ、ラバウル近郊に着いた時はやせ細った「ホームレス」同然の姿であった。 迎えに来ていた戦友と涙を流して抱き合って喜んだ。 600キロ、2カ月の転進を成し遂げたのである。 今村方面軍司令官も褒めてくださった。 数か月、体力の回復につとめた後、上から下まで一張羅の衣服が支給され、 敵の上陸に備えての訓練に入ったのである。 この期間の食事睡眠の細部もいまや忘却の彼方へ消え去ろうとしている。 人間とは、ひとたびいい思いを経験してしまうと苦しかった過去を忘れ去ってしまう動物である。
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