DIARY OF WAR


 Diary No.31「戦跡は今」

 マーカス岬の戦跡慰霊を終わった一行は、思い出多いイトネ河口を右に眺めながら、
再びダンピール海峡を岸沿いに北上してツルブ地区へ向かった。相変わらず波は荒い。
東に進路が変わるや連隊主力が苦戦した三角山、萬寿山が見えてきた。
この地区で苦闘した藤山君、真鍋君、八島君らが興奮してきた。

「あれじゃ!あれじゃ!あそこじゃ!」

と、すぐに海に飛び込んででも行ってみたい衝動に駆られたのであろう。
藤山君は、大隊乙副官であったが、向井大隊長は三角山で戦死、
沖甲副官は負傷したため実質的な大隊長代理で奮戦したが、
彼も大腿部に盲管銃創を受けてしまった。
しかし、彼はそれに耐えて任務を遂行したのである。
彼は最近亡くなるまで大腿部にその破片を保全していたという(^^)。
小隊長だった真鍋、八島両君も軽傷を負ってしまった。
我々が原住民と戯れているうちに二人は
「三角山に登ってきたよ。頂上には碑が立っていたぞ」
興奮して知らせてきた。誰ともなく「誰が建てたんだろう…」という声。

生命あって今、元の戦場山麓を訪ね、当時を思い出して、私ら同様涙していた。

皆同じ思いである。

 丁度9月16日が独立記念日にあたるとのこで、
原住民のシンシン踊りに遭遇し、思わざる風景を見せてもらった。
集落ごとに「出し物」を披露するという、いわばコンクールなのである。
刺青の体中に極楽鳥の羽やら貝殻の首輪などで飾をりつけ、
タムタム太鼓の音頭で歌を歌って行列する姿はなんとも滑稽であった。
この日にはニューギニアの主要都市で一斉に行われるとのことある。
いわば国としての記念日なのであろう。

 飛行機でラバウルへ向けての空から、
かつて苦労したジャングルと海岸を眺め、一同感一入であった。

 ラバウル上空にさしかかるや湾には中之島が見え、
その昔、海軍航空隊健在の頃苦労した「花吹山」の噴煙が見えてきた。
(花吹山は現地ではタブルタブル山という。)
平成6年(1994)9月19日 「花吹山」は「西吹山」とともに大爆発を起こした!
厚さ3〜7メートルの降灰により街半分はゴーストタウンと化してしまったそうである。

そのため首都はココポに移転したとのこと。

我々は、いい時に空港に着陸出来た。ラバウルの北東部にある元「官邸山」にある
「南太平洋戦没者慰霊の碑」で慰霊の行事を行い宿舎に入った。

「ニューアイルランド」の「カビエン」上空からは山本五十六元帥に思いを寄せた。
ラバウルには、当時東、西、南、北の飛行場と水上飛行場があった。
山本五十六元帥が、一式陸攻に登乗して東飛行場から出発し
「ブーゲンビル」上空で戦死した話は有名であろう。

 翌日はマヌス島に一泊したが、ここは今村大将が、戦後部下将兵とともに
戦犯として蟄居されたところであり、
貧弱な宿舎だったことの説明を受けて一同感動したものである。

2回に分けて慰霊の旅の概略を綴ったが、生死の間をさまよった現地を最訪し、
改めて今あることに感謝するとともに、亡き戦友の慰霊も達成出来たと思っている。

Diary No.032「戦場の生物達」
 

 

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