DIARY OF WAR


 Diary No.30「戦跡は今」

 マーカス岬の戦闘に参加した戦友達25人と昭和58年9月下旬9日間にわたり
慰霊を目的とした戦跡を訪ねる旅をした。
成田→グアム→ニューギニア→ウエワク→同ラエ→ニューブリテン島マーカス岬→同ナタモ→ニューギニア→マダン→ニュブリテン島ラバウル→マヌス島→グアム→成田というコースである。

これらは、「戦陣の断章」「外伝」「新・戦陣の断章」etc.で上記の旅での一部の写真とともに
お伝えしてある。

 参加した各位は、戦闘中それぞれの立場で苦労しており、
どの戦跡を訪れても感慨深いものがあったが、 ダンーピル海峡で船酔いに悩まされながらもマーカスの岬が見えてくるや一同興奮してきた。多くの島の間を通り抜けて上陸予定地が見えてきた。

「あそこの桟橋から敵さんが上陸してきたんだ!」との声。
輸送船からボートに乗り移るのももどかしく5回に分けて上陸を完了した。
現地人親子が大勢集まってきた。もの珍しいのだろう。

戦争を知らない者たちばかりである。

 上陸して間もなく、米軍が使っていたと思われるカマボコ兵舎が崩れて残っていた。
「やつらはここを基地にして攻撃してきやがったんだ!」と、複雑な気持ちになる。
そこから1本道を東へ東へ。「この道をあの戦車がぞろぞろやって来たんだな!」と感慨も深い。
行く先の両脇には椰子の樹が何本も倒れている。
見ると、どれにも弾丸で抉られた大小様々の跡が残っているではないか。
行く先々にも椰子のほか、木々が倒れており、いかに当時の砲撃戦が凄まじかったか。

一同改めてゾーツとしてしまった。

 約3キロも歩いたろうか。「ここらだー!」という友澤君の声。道路の右側。
既報のとおり彼はここで号泣した。虎の子の大隊砲ともども迫撃砲で吹き飛ばされ
重傷を負った彼にとっては、無念この上ない場所だろう。共に泣いた。
更に進むと大きな穴があった。草で覆い尽くされている。

私は「ドキッ」とした。

「この辺が大隊本部のあったところです!!」と、私の声も上ずっていた。
「壕が潰れてわれわれが埋まってしまったあの時の跡だ!!」大隊本部のあったところらしい。
周辺には、3個ぐらい戦車の残骸もあった。どれもくずれていて戦車の形は全くない。
瀬尾会長の指示で、この辺で焼香しようということになり元僧侶の中川氏の読経の中、
塔婆を立て、線香を手向け、現地の無名の花を備えて一同合唱した。

涙が止まらなかった。

終わるや突然スコールがやってきた。
涙雨だと一同つぶやいていた。

ジャングル内でのスコールは、降って来ても一時期は高いところでザーザーやっていて
暫くしてから落ちてくる。内地では考えられない現象であろう。

 慰霊を終わり再び同じ道を引き返し、
ボートから本船に乗り換えて次のツルブ地区での慰霊のため移動を開始した。
途中、船の中からブッシングのイトネ河口を眺め、在りし日の警備を思い出していた。

 今、振り返り、思い切って健康な時期に元気で戦跡慰霊の旅に参加出来、
共に戦い惜しくも亡くなられた戦友にせめてもの慰めになったであろうと思っている次第。

 

Diary No.031「戦跡は今」
 

 

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