DIARY OF WAR


 Diary No.29「方面軍予備隊」

 日本軍の基地「ラバウル」のあるニューブリテン島に、 始めて米軍に上陸を許したマーカス岬とその後のツルブ地区の戦闘は大きなダメージを受けつつも全将兵はよく当地区を確保しつつ敵と対峙していた。ところが、昭和18年の大晦日近くになり、

突然

「カ号作戦発動。貴地は放棄して全軍ラバウル地区に集結せよ」 方面軍からの命令が発令になった。

既報のとおり各部隊は転進を開始し悪戦苦闘しながら概ね1月下旬にトーマ地区に集結を完了した。

「第65旅団は、第8方面軍の予備隊となり敵上陸の際の最後の砦となるべし」との命を受け、
バルチン山(標高約600メートル)の麓、ビタカップ一帯に布陣した。
一帯は深くかつ広い谷間になっており防御陣地としては最適な地形だった。
各隊は、それぞれ与えられた谷の側面を掘り起こし、日夜居住兼陣地を構築した。
転進で疲労困憊にあった将兵も、心を新たにして工事にあたり、
1か月足らずで見違えるような陣地を造りあげた。
部隊はここを根城にして毎日訓練に励むことになる。
陣地の上の高台にあるトーマの三叉路には交代で見張りを立て空襲にも備えた。

 大隊本部と各中隊は、それぞれ谷間で仕切られているため
無線の連絡も不如意であったが、連日各中隊に連絡し、敵の侵攻を予想し、
東ゴム林あたりで対戦車攻撃の訓練に励んだ。

 私がたまたまマーカス岬の戦闘で、対戦車戦闘の経験者であったため
戸伏大隊長の特命で教官を命じられた。(大隊副官が教官とは異例であったが・・・)
敵戦車にはリヤカーに短い柱を4本立て、菰を架けたお粗末なもので見立てたが、
将兵一同真剣に訓練に励んだ。

結局、米軍はラバウルには上陸せずに終わって今がある。

もし、「米軍が上陸し、マーカス岬戦同様、多くの戦車が、わが予備隊あたりまで押し寄せてきた」
というような夢を見たとしたら・・・ぞっとして目が覚めてしまうだろう。

こんな笑い話が出来る今は有難い。

 

Diary No.030「戦跡は今」
 

 

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