Diary No.25「現地教育」
日本陸軍の教育は、創設当時から大陸戦を想定したものであった。 私が、初年兵として入隊以来受けてきた訓練も総てそうであり、 久留米の予備士官学校で受けてきた将校育成教育も当然であった。 見習士官としてラバウルの戦場に赴任して間もなく同期生8名は、 教官酒井中尉のもと「ジャングル戦での小隊長としての指揮法」という初めての教育を受けた。 酒井中尉はフィリッピンのバターン攻略戦を経験してきた陸士55期の猛者である。 ここで初めてジャングル内での戦法がこれまで受けてきた教育と大違いであることを痛感した。 ここで徹底的に叩かれて、ようやく南方戦線で指揮をとれる幹部に成長し、 空も見えないぐらい欝蒼としたジャングル内では、指揮官の指揮が いかに大変であるかを痛感したものである。 私が少尉に進級してからの或る日、突然乙種幹部候補生4名と下士官候補者 3名計7名からなる「教育隊」の教官を命じられた。私より1〜2歳ぐらい歳下の伍長である。 班長乃至分隊長として、部下の兵をジャングル内でいかに掌握して戦うかを叩きこませた。 (このことは「拙著 戦陣の断章」に詳記した。) この中に1名不慮の犠牲者が出た事は慙愧にたえない。 現在は、自衛隊が国の守りを担当しており、そこには当然激しい訓練があろうが、 天皇の軍隊であった旧軍の教育及び兵器と現在の自衛隊のそれとの相違が歴然としているので比較は出来ない。 旧軍の将兵は、天皇陛下と国家のために生命を顧みず訓練に励み、かつ戦ってきたのである。
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