Diary No.26「不死身」
マーカス岬の戦場がますます激しさを迎え、 いつ米軍が侵攻して来るか緊張が高まってきた。 敵の陣地からはカタカタという戦車のキャタピラの音が聞こえてくる。 突然「ドカーン」という音がした。 迫撃砲の着弾音らしい。間もなくして大隊砲の兵が 「隊長が・・・やられました!!」と言って一人をズルズルと引きずってきた。 体中血まみれだ。 戸伏大隊長が「誰だ!!」と言って顔の血を拭ってみると、 大隊砲小隊長の友澤克巳少尉(私の1期後輩)ではないか! 大隊砲も吹っ飛んでしまったらしい。 顔は原型が崩れるほどやられていた。体中も相当やられているようだ。 野戦病院に連れて行ったが、十分な治療はされずに退院を余儀なくされた。 退院後も「化濃」に悩まされ、歯も数本抜け落ち、片手は片方が不自由になってしまった。 毎日が「死」との戦いであったと言っていた。 そして数日後、「カ号作戦に基づく転進」の命令が出た。部隊はラバウルに向けて行動を開始した。 病人、負傷者は止むを得ず置いてきぼりである。 つまり回復後に追跡せよということである。 後日談であるが・・・ 部隊から離れ一時期は気持ちが楽になったが、自分で食べ物を調達しなければならない。 しかし不自由な体では不可能に近い。何度自決しようかと思ったことか。 朝起きたときは、「ああ生きていたんだ」ということが何回あったことか。 それでもなんとか少しでも部隊に近づこうと足をひきずりながら歩いた。 キズからの血と膿は止まらない。 しかし彼は!部隊には追及出来なかったが、不自由な体で単独で600キロを踏破してトーマに辿り着いたのだ! 自分でもどうやってここまで歩いて来たのか思い出せないと言う。 だがしかし「歩いたんだ・・・!」と。 その後、「長い間治療を受けてやっとこれまでになったよ。」と彼は語っていた。 20数年前に、旧戦場への約10日間の慰霊の旅が行われた。 彼も、顔は変わってしまったが元気に参加した。 彼が負傷した戦場跡あたりに到着するや、思いあまってワーツと泣き出した。 「判る!!判る!!」思わず私も一緒に泣いた。 彼は、数年前に亡き戦友のもとに旅立って行った。
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