DIARY OF WAR


 Diary No.24「輜重業務」

 昔の日本軍隊に歩兵、野砲兵、騎兵、輜重兵ほかの各兵科があったことは知られている。
この中で案外知られていない兵科は輜重兵である。
私の住む宇都宮市は昔「軍都」と言われたくらいですから上記兵科の連隊が全部ありました。
「輜重(しちょう)兵科」は、平時にあっては、軍隊に必要な兵器、弾丸、被服、
軍靴ほかを保管し、必要に応じて各部隊に配布する仕事をしていた。
わが第65旅団は、太平洋戦争になってから急遽編成された部隊で、
騎兵連隊と輜重兵連隊がないという変則旅団であった。
(旅団司令部、歩兵3個連隊、速射砲隊、野戦病院、通信隊、工兵隊)
つまり重要な役目を持つ輜重兵科の仕事は、それぞれの部隊内で行っていた。
約4年半に及ぶ戦場生活で、私にとって今でも判らない事柄があった。
私が、在ニューブリテン島の本隊に赴任し、その後各地に転戦したが、内地から持参した
将校行李(柳コウリといって私物が入っていた)は、常に行く先々に持参されていた。
各将兵が進級すれば、新しい階級章が交付され、
転進を終わって帰還すれば新品の衣服が 支給された。
これらはほんの一部のことであるが、輜重連隊のないわが兵団にあって、
本来の業務以外に輜重連隊の行う業務をどこかで行っていたのである。
うかつながら当時の私はこれを知らなかった。
軍隊というところには、無いものは何も無いといわれるが、あの不便な南方戦場にあっても
ちゃんと必要なものはなんでも持参してあったのである。

 以前に、戦場で治療台に乗って私が歯科治療を受けたこととか、
謄写版で命令文を印刷して 各部隊に配布したなどのことを書いたが、
案外こういったことは一般に知られていないのではと思う。
爆撃を受けていろいろ不便なことは起きたが、戦場でも内地の軍隊と殆ど同じ生活を行っていた。
しかしいざ敵が上陸し、交戦するとなると生活は一変してしまうことは既述のとおりである。
 

Diary No.025「現地教育」
 

 

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