DIARY OF WAR


 Diary No.20「大隊長の髭」

 私の著書「戦陣の断章」の第一章「着任申告のこと」にも書いた戸伏大隊長の話。

 陸士44期。戦争期間の年齢は30歳前半。九州の都城連隊当時は少尉で連隊旗手をやっていた。
連隊旗手は、少尉の中で成績最優秀者がこれにあたる。
少佐の時、第一大隊長としてバターン攻略に参加。以後ラバウルへ。
マーカス岬の戦闘では、私が副官としてお仕えし、 以後復員まで殆ど一緒に行動した上官である。

 職業軍人の階級の一期間は長い。
私達予備役将校を始め、下士官、兵に至るまで復員時には二階級は昇進しているが、
戸伏大隊長は復員時も少佐であった。
(復員後は警察予備隊に入隊し、最後は陸自の陸将で終わった。)

 さて、本論に入る。
第65旅団歩兵第141連隊の戸伏大隊長は、ご自慢のカイゼル髭で有名であった。
両端をピンと上に反らせた髭は、まさに圧巻もの。髭を伸ばした者は結構いたが、 
戸伏少佐に敵う髭はなかった。
私達が見習士官でラクネに着任した当時の大隊長の威厳は、いまでも記憶に残っている。
マーカス岬の戦闘中も常に両端の形を気にし、癖にもなっていたようである。
戦闘が激しくなり、自ら命令の原文を作るようになるや片方の髭を左手でしごきながら
右手で忙しく鉛筆を走らせていた。

 苦闘のマーカス岬の戦闘、カ号転進作戦を終え、トーマ地区に集結して間もなく異変が起きた。
大隊長が突然、自慢の髭を剃り落としたのである。将兵一同目を見張った。
私たち副官を始め中隊長クラスも折に触れ理由を尋ねた。

しかし大隊長は、ただニコニコ笑うだけ。「どう思う?」などと逆に冷やかされる始末であった。

終戦まで遂に二度と髭を蓄えることはなかった。

終戦後、自衛官の職にあった頃の戦友会に珍しく出席された。
その席で、私が改めてかの髭の話題に触れた。
すると・・・
初めて当時のことを振り返りながら本音に触れた。

「マーカス岬逆上陸の際、上部からの命令に反して岬に上がらず、はるか北部のオモイに
上陸したことは、止むを得ない事情とはいえ、命令違反であり、松田兵団長からも叱責されていた。 軍人として命令違反は最大の恥であり、切腹ものだ。
このことはずっと脳裏から離れる事はなかったよ。」
とのこと。

さすが職業軍人だなと感じた。
おそらくこの本音を直接本人から聞いたのは私だけかもしれない。
その戸伏さんは、もうこの世におられない。もう一度会って昔話をしてみたいものだ。

(注)軍人は上からの命令には絶対服従である。
当然、意見具申は許されてはいるが、余程のことがなければ許されることはない。
 

Diary No.021「戸伏参謀の実現」
 

 

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