Diary No.21「戸伏参謀の実現」
カ号転進作戦の大任を無事果たし、バルチン山麓のトーマに集結した わが夏兵団は、 次なる米軍の侵攻に備えて毎日猛訓練に励んでいた。 或る日、突然戸伏大隊長に朗報が届いた。 わが夏兵団(正規には第65旅団)の大島大佐参謀が歩兵第53連隊長として転出し、 後任に戸伏少佐を参謀に親補するという辞令が発表された。 当人は勿論、われわれ一同も正直いって驚くと同時に複雑な気持ちで喜んだ。 マーカス岬上陸時の一件は、旅団長からも叱責されており、 当の戸伏大隊長が最も懊悩していたことである。 しかし、その経緯はいずれにしろ辞令を受領後、早速参謀肩章をつけた 戸伏参謀が実現した。将校一同拍手で出迎えた。 さすがの戸伏参謀もてれていた。 その3日後、参謀は兵団司令部に赴任して行かれ、後任には上記の連隊から 53期の若いN大尉(のち間もなく少佐に昇進)が赴任してきた。 私が出迎えに行った。竹の杖をついていた。若いのにどうしたのか・・・。 以後N大隊長とは、なにかと私と考えが合わず苦労したものである。 (復員時、この大隊長との一件は、「戦陣の断章」にも書いた。) (参考) 参謀が下げている肩章は、正式には「飾緒」(しょくちょ又はしょくじょ)という。 陸軍大学校は優秀な参謀を育成することを目的とする。(このことは案外知られていない。) 参謀を数年経験してから将帥(将軍)になる。 平時では、陸大を出た者は、それぞれ参謀として各師団、旅団に復帰し、その後数年してから師団長、旅団長として新任地に赴任する。 参謀は、担当によりそれぞれ将帥を補佐する。(作戦、兵站、兵器・・etc. 太平洋戦争あたりから陸大(海大)を出ない、いわゆる無天組からも相当数の 参謀が出たとのこと) 「無天」・・・陸大を卒業すると右ポケットの下に昔の「天保銭」に似た徽章をつける。 これを俗に「天保銭」といい、彼らの「誇り」でもあった。 海軍とか各部(経理、軍医、獣医、兵器など)にはなかった。 たとえば軍医中将でも該当せず、ひがみもあったっと聞く。 現在でも自衛官、消防、楽隊などの制服に、この飾緒が用いられているが、 今でもやはり「かっこいい」もなのだろう。
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