Diary No.18「波とうねり」
日本中、沖縄周辺を除いて、どこの海岸でも波が周期的に打ち寄せている。 台風時には、とてつもない高波が押し寄せてくることは周知のとおりであるが、 地帯によっては海岸に殆ど波がない所があるということは、 経験した者でないと理解できないと思う。 赤道を境にしての大きな島々の海岸、特に沖にさんご礁が多いところは、 さんご礁の周辺に波が集まり(?)、陸地の海岸まで波がやって来ないのである。 そのため海岸にはポチャポチャと波らしい(^^)音がしているだけである。 われわれ陸軍部隊が、ラバウルから駆逐艦2隻に分乗して、 西部ニューブリテン島に移動した時は、当然ながら艦は沖合いに停泊し、 艦から縄梯子を下ろしてもらい、縄梯子から海に跳び下りてあとは岸まで歩くのである。 幸い前記のように海岸には波がないわけだから腰まで海につかり銃や刀を高々と上げて陸地に向かう。 海軍さんは、これからまた基地に帰らねばなないから「早く早く」と急き立てる。 空から発見されたらひとたまりもない。 ようやく任務を終わった駆逐艦は、一度警笛を鳴らして踵を返して帰っていった。 「有難う!!」と大声を張り上げた。 (われわれを送ってくれた駆逐艦「三日月」と「有明」は、帰路グロセスター岬沖で座礁し、 ノースアメリカンB25の攻撃にあって沈没したという。黙祷!!) この海岸付近に高い波でもあったら、まともな上陸は出来なかったと思う。 南方戦線の穏やかな海岸の波も、よきにつけ悪しきにつけ戦況にも影響したのである。 海にうねりがあることは、小船で沖合いに出た者でなければ見当がつかないと思う。 完全な無風状態の海ならいざ知らず、大きくうねっているのである。 大きな河の河口も、波こそないが、大きなうねりがある。 転進中に何回河口を渡ったであろうか。ラバウルへ向けての転進は海岸づたいに北進するのが 賢明なことは当然だが、そこには常に敵機に発見される危険がある。 隊員一同、体の何処かにつかまり合い、 銃や軍刀を高々とあげて腰まであるうねりに逆らって渡りはじめた。 周りは、がら空き。その間、常に上空に配慮しながら・・・。 河口の「うねり」がどれほどわれわれの進行を妨げたものか。 一見穏やかそうに見える海岸も河口も、敵の目を避けて渡ろうとすると、 なんと「天然自然」も過酷なもかと改めて思い知らされたのである。 2か月余600キロに及ぶ「カ号作戦に基づく転進」。 食料も無く、体力気力の限界を克服して、次なる作戦に備え得た行動は、 その後今村第8方面軍司令官からも高く評価されて大いに意気も揚がったのであった。
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