DIARY OF WAR


 Diary No,03 陸軍大将「今村均」

 diary No,02に登場した今村将軍少し書いておこうと思う。
陸軍大将 今村均  ジャワ攻略に第16軍司令官として登場した。
(詳細な経歴は省略させて頂く)
現地住民を苦しめる戦術、そして政策を一切行わずに、
巧みな謀略戦と現地住民の協力を得てジャワ島攻略に成功。
日本軍によるアジア解放を真剣に本気で考えていた将軍である。
占領地の軍政についてそれらは史実として残されている。


 日本はアジア解放の為に開戦したが、多くの占領地では圧政を求める軍人が多くいた。
しかし今村将軍にとっては自軍の将兵も敵軍の将兵も、
不幸にも戦地となった現地の人も同じ人間であった。
ジャワ島の軍政で証明されている通り、占領地の現地人に強制労働もさせずに、
自由に解放し武器の携帯をも許し、第一にオランダの植民地支配から、
ジャワ島を独立させる事を考え、そして実行した。
そしてジャワで圧政を敷いていた敵軍であるオランダ人にも職を与えていた。
このことは軍中央からかなりの反感を買ったことは言うまでもない。
厳しく圧政せよ」と命令されても方針を曲げる事無く頑として自身のやり方を貫いた。
インドネシア初代大統領のスカルノは、当時独立運動の指導者として、
オランダ政府によって投獄されていたが
今村将軍は彼をすぐに釈放してこう言った・・・

「これからは貴方は自由の身です。日本軍に協力するか中立立場を取るか、
どちらでも貴方の意思です。仮に日本軍に協力しなくても貴方の財産と生命は完全に保証します。」


 この言葉によってスカルノは日本軍政に協力を約束したのである。
終戦後、今村将軍は軍事裁判のためにジャカルタの刑務所に投獄された。
もっぱら死刑との噂が広まっていたところに、スカルノの密使が面会にきた
(勿論身分を隠してだろう。)

「もし死刑が確定なら刑場へ向かう途中インドネシア独立軍があなたを奪還します」

これに対して、今村将軍は?

「自分の為にインドネシア独立軍とオランダ軍が交戦するのは忍びない、
また日本人としてそのような形で生き延びる事は不名誉と考えます。」

 こうしてこの申し出を断った。
事実、今村閣下に対して酷評する人物はインドネシアには今も皆無である。
終戦後も今村将軍は破滅(自決)に走らず、卑屈にもならず堂々としていたという。
裁判では自らの行いに自信を持ち無実を主張し戦争犯罪の主張には
一歩も引かず反論した。裁判長が妥協を促しても拒絶し心証を悪くしても平気であった。


 

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