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マーカス岬の戦闘戸伏大隊の防禦編成第一線を担任した戸伏少佐は、敵の主陣地とおもわれる線から ツルハシの先が丸くなる程だそうだ。 最初は伏射、次いで膝射、最後は立射と逐次に掘り下げ壕底に横穴を作った。掩蔽資材には事欠くことはなく硬い椰子を利用し 出来る限り、 予備陣地や補足陣地も作ったそうだが大したものは出来なかったといわれている。 障害物については最初は鹿砦で間に合わせ、 その後捕獲した有刺鉄線や対人地雷を利用したそうだ。 布陣は 右第一線 酒井隊【第二中隊(一小隊欠)機関銃一小隊の{2Co-(2個Pt・MG×2)}】は、 両中隊長の回想によれば、 「岬の中央に細い道路があり、わが方から見て道路左側の海には断崖絶壁があり右側は海まで湿地帯です。日米両軍とも湿地を避けて布陣しました メッセリア飛行場予定地はこの地図ではずっと右方向です。右第一線は酒井隊、左第一線は道路を挟んで加地隊。佐々隊は予備隊として ずっと後方の海岸より、戸伏大隊本部は道路右側で酒井隊の後方に布陣しました。酒井隊から大隊本部までは道路を境に右下がりの緩やかな傾斜でして 一面椰子と雑草のジャングルに覆われておりました。この構図でもわかるように、敵第一線戦車群との距離は1〜1,5キロですから 敵陣の動きや戦車の音などもある程度聞こえました。特に夜は遅くまでカタカタコトコトとよくやっていましたよ。両軍とも長期間のにらめっこです。 昭和十九年一月十六日 敵も痺れを切らしたのか、いよいよ朝から空と地上から一斉に砲爆撃を開始、既報の通り彼我の激烈な先頭が開始されたのです。 小さな岬ではありましたが、ニューブリテン島への敵上陸はここが初めてでしたから上層部も重要視していたわけです。 それだけに、我々もその意を汲んで緊張しました。」(塚本氏談) 最前線の将兵の緊張感が伝わってくる。 戦後、塚本氏はこのマーカス岬に上陸した米海兵隊のLVTに搭載された 物資の写真を見た際、驚くほど積み込まれた物資の多さに驚愕したという。
背筋がゾッとしたそうだ。 そしてそれは私が同じ写真を見た時も同様であった。
LVT甲板には砲弾、糧食、ありとあらゆるものがぎっしりと積まれていたのである。 戸伏大隊の防禦編成は巧妙であった。
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