敵に気づかれないようにエンジンはかけずに長い棹で少しずつ漕いで進みました。
船舶内は咳ひとつしない静寂さで僅か水の音がするだけでした。 夜の扉が少しずつ迫ってきたので、小堺隊長の進言でペイホ岬に一旦上陸して明早朝改めて再出発することにした。
海岸から離れて奥の方に進むとそこにも例の形をしたマングロープが広く張っていた。 この辺一帯で朝を待つことにしたんです。 そして翌朝、又も棹で漕ぎながら7隻の大発はスイスイとマーカス岬に向かいました。
そして数時間が過ぎた頃、ポンポンというボートの音が聞こえ2隻の敵ボートの姿が現れたのです。
「発見されたな!」と、戸伏大隊長がつぶやく声・・・
すると第一機関銃中隊の乗った舟艇が急に追いかけざま機銃を撃ち出した!! こんなことをしては却って敵にわれわれの存在をしらせてしまうと判断した大隊長は
「やめろっ!!」と大声を出したが聞こえるはずはない。とうとう逃げられてしまった。
戸伏大隊長は、十七日夜ブッシング出発。マーカス上陸を断念しオモイ上陸を決心。マーカス岬に侵入していれば全滅は必至と戸伏大隊長は判断したのである。十八日払暁オモイ附近で敵武装舟艇二隻撃沈、
続いて十八日朝オモイ附近上陸。一路マーカス岬を目指した。しかし湿地とマングローブに阻まれて空しく時日を経過してしまった。 ようやくオモイに上陸を完了して人員を再点検していた時、一期後輩(8期)のA見習士官の姿が見えないという。確かに上陸したと数人の兵がつぶやいていた。
すると・・・「ズドン!!」
にぶい音がしたと思うやいなや、兵が跳んで来た。「A見習士官殿が倒れている」というのだ。一同大騒ぎになった。「さては敵にやられたか、敵は近いぞ」と一時緊張したが・・・
実は拳銃自殺だった。兵に聞いてみると「そういえば船上にいる時から様子がおかしかった」と言っていた。 戦場心理とはよく言うが、恐怖心から来る異常心理に陥っていたのだろう。可哀想に・・・敵の姿を見ないうちに死ぬとは・・・。
ジャングルの中で指を切りとって形見とし、あとは埋葬してその場を去り、 一路マーカス岬へと急いだ。ここから敵が上陸した戦場までどのくらいあるのか? 新谷少尉(先輩の6期)を長とする将校斥候3名を派遣して敵情を探ることとした。
その後はマングロープ群生の上を右往左往しながら戦場到達まで無用の長時日を 費やしてしまったのである。
新谷斥候は無事任務を果たして帰還。敵情をつぶさに報告してくれたお陰でその後の行動は、 苦労しながらもスムースに行われて戦場に到達し、新任務に着く事が出来た。
しかし、上陸地点について上部からの命令に逆らった上、戦場到達に日時を使いすぎたことで、戸伏大隊長は懊悩した。 結果オーライとはいえ、大隊長は後々まで責任の重さに耐えたのである。
米舟艇を2隻撃沈 、ようやくオモイに到着し接岸して7隻それぞれ上陸した。(このことは後の米公刊戦史で二隻とも日本軍に撃沈されたと記してある。)
大発動艇に関しての秘話。
オモイに上陸する時私は、兵の無事に完全上陸することを見届けていた。 全員の上陸を見届け終わってからヒョイと舟艇内を見ると、いくつも便がトグロを巻いていた。
「あと船の始末が大変だろうな」と思った。人間の生理現象とはいえ・・・
後日談 小堺元舟艇隊長が数年前に我が家を訪れてくれた。長い長い思い出話に花が咲いた。
例の舟艇内でのこと。「船乗り部隊にはこんなことはしょっちゅうあることですよ!」
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