西部ニューブリテン強化の為、第八方面軍は同地に第65旅団を派遣することになったのだが、この頃、連合軍の南太平洋方面における反攻は日に日に激化の一途を辿り我陸海空は逐次戦力を消耗し押され気味であった。ダンピール海峡に臨む西部ニューブリテン島の要衝は単なるニューギニアに対する補給基地としてではなく
連合軍の中部太平洋又はフィリピン方面への進攻を阻止する地域として極めて重要な意識を持っていた。マーカス岬はニューギニア東岸のフィンシハーフェンと共にダンピール海峡の南入り口を制する位置に有りそこには現に使用していなかったが飛行場があったので連合軍がこの海峡を突破すると企図するならば、先ずこのマーカス岬を攻略するであろう事は想像に難しくないことであった。(この予測は的中する)
十八年八月、南太平洋の戦局は悪化の一途をたどっていたが、八月末大本営において遂にラエ、サラモア放棄の方針が決定。この旨陸海軍中央協定が第八方面軍に示された。
間もなく九月四日に連合軍はラエ東方ポポイ付近に新たな上陸を敢行!ナザブに空挺隊を投入、第五十一師団は転進やむなき状況に立ち至った。
この情勢を迎え連合軍の次期目標である事が明瞭な、ダンピール海峡東岸に位置するニューブリテン島西部要域の防衛はいよいよ方面軍にとって重要となったのである。
第六十五旅団を主力とする現配備では兵力の不足が痛感されるところから急遽増強の要ありと考えられた。
しかし中部ソロモン方面の戦況上必要とされるブーゲンビル島への増強兵力にも苦慮しており全体として派遣すべき兵力の余裕は無かった。
連合軍の空襲が激化する中フィンシ方面への輸送も依然として継続しなければならないから西部ニューブリテンへの増強は困難であった。
そこで方面軍は第六十五旅団長が欠員となっていた事情を考慮して、当時ラバウルにあった第四船舶団司令部をツルブに推進、団長松田巌少将に(28期)同方面所在の船舶部隊、
第十八軍所属の滞留部隊を含む全軍部隊の統一指揮を命じ、これら兵力の組織化によって輸送業務推進と併せて防衛体制の強化を図った。
連合軍作戦計画の決定
当時の計画はラバウル占領を最終目標とし、ラバウル攻略を可能にするための作戦のひとつの段階として西部ニューブリテン島攻略を計画。
作戦は米第六軍司令官クリューガー将軍が指揮するニューブリテン軍(秘匿名称 アラモ軍、又はエスカレーター軍)が実施する事となり、
五月六日同司令官に、渡洋作戦と空挺作戦とを併用し、ガスマタ―タラセアの線以西のニューブリテン島を占領し、
爾後のラバウルに対する作戦のための陸上航空基地を建設という趣旨の準備命令が与えられた。
第一海兵師団司令部と連携し計画の具体化を図っていたが、七月中旬に「アルファ計画」(叢書記載はマーファ計画)と称する大綱計画が発表される。
続いて八月下旬「第二次アルファ計画」が発表され計画は「アラモ軍はグロスター地区を占領し、
ガスマタを無力化、タラセア、ガスマタ以西ビッツ諸島及びロング島を含む西部ニューブリテン島を占領」とある。
攻撃期日は当初計画と同様十一月十五日とされたが、二週間後には「十二月一日」と変更された。
この方面の戦略的要衝であるラバウルを連合軍は攻略しないという重大決定が八月にケベック会議で正式に承認されていたが、
西部ニューブリテン島に対する作戦目的もラバウルの無力化と爾後のアドミラルチー諸島あるいはニューギニア方面への
振興準備のための基地獲得というふうに変化はしていたのだが計画自体にはさしあたり大きな変更は加えられなかった。
九月二十二日南西太平洋方面総司令部が発した本作戦に関する指令は、従来の構想を躊躇するものであったが、
無いように付いては「第二次アルファ計画」と大差の無いものであった。
その後本計画は大きな変化が加えられた。これは第五空軍のケニー中将がガスマタ付近の飛行場は不要であるとの事と、
同空軍に対する長距離戦闘機の補充の遅れ、ガスマタ作戦には十分な航空支援が出来ないという意見を発表。
(ガスマタの日本軍が米軍の攻撃を予期して、防備を増強中であることが判明していた。)十一月十日、ガスマタ作戦を取りやめる指令が出され、
ガスマタに変わる目標として、マーカスを占領することが決まったのである。
マッカーサーは指揮下の第6軍司令官、クルーガー中将に「アルファー計画」を示し、ガスマタ〜タラセア半島を連ねる線以西のニューブリテン島の占領を命じた。
狙いはラバウルの無力化と爾後のアドミラルチー諸島、ニューギニア北岸方面への進攻準備の為の基地獲得であった。 計画の概要は12月15日カニンガム准将の指揮するDirector
Task Forse(第112偵察連隊戦闘団/112RCT・148FABn基幹)をもって マーカス岬に次いで12月26日第一海兵師団をもってグロスター岬に上陸、西部ニューブリテン島を攻略しようとするものであった。
12月14日早朝、連合軍はマーカス岬一帯に激しい空襲を行い、翌15日未明、米海軍駆逐艦及び海兵第一師団の水陸両用大隊A中隊に支援された上記の部隊を マーカス岬とピレロ島に上陸させた。かくして要衝ダンピール海峡を廻る彼我の攻防戦はマーカス岬で火蓋が落とされたのである。
連合軍の作戦計画(マーカス方面)
マーカス岬方面
上陸兵力 第112偵察連隊戦闘団(歩兵二個大隊、砲兵一個大隊、工兵一個大隊、工兵一個中隊、高射機関砲二個中隊、その他)予備兵力 歩兵第158連隊第二大隊。
任務
グッドイナフ島から発進、12月15日アラウエ(マーカス岬)に上陸し、
1、軽易な海軍施設のための地域を占領。
2、イトニ河谷がグロスター岬戦の補給路として使用できるか否か偵察。
海上輸送、輸送
海上輸送は高速船によることとし、LSD一隻、豪軍輸送船一隻、APD二隻充当。爾後の補給はフィンシからLSTによる。
上陸地点はリーフのため、水陸両用トラクター大隊の一個中隊が配属された。
LVT-1(名称 アリゲーター)29隻とLVT-2(バッファロー)10隻を有す。またアラモ軍からも工兵舟艇海岸連隊の一部が配属された。
海上援護と上陸支援のため、駆逐艦10隻その他哨戒艇、駆潜艇等が充当された。
航空支援
アラウエ(マーカス岬)に対しては日本軍に警戒させないために、進攻直前まで攻撃を避ける方針がとられた。
こうして、昭和十八年十二月十四日早朝から同地区に激しい空襲が行われ、マーカス岬一帯は爆煙に包まれた。 マーカス岬に対する攻撃がいよいよ開始されたのである。
(LSD ドッグ型揚陸艦 LST 戦車揚陸艦 APD 側方偵察レーダー LVT 水陸両用装軌車(揚陸強襲艇)
第一海兵師団はこの頃から徐々に装備改変が進んでおり、ガダルカナル島から転進して以来、豪州本土で戦力の回復に努めていた。
装備の面では長年使い慣れたスプリングフィールド銃が、十七年四月には新しい半自動式のM-1型ライフルと交換され、従来のM-3戦車(16t)に対して
五月にはM-4戦車(35t)が到着し海兵師団戦車大隊の一個中隊はM-4戦車に改変された。また、八月下旬には師団の各部隊は作戦準備地域に展開し
新型上陸用舟艇(LVT-2)を使用する上陸作戦の訓練を反復していたのである。
第一海兵師団の携行する補給品は約30日分、弾薬は三基数とされ、爾後さらに後続師団によって60日分、六基数(高射砲は十基数)に達するまで集積することとなった。
一基数は十榴で百発とされている。
そして上陸作戦が開始されるのである!!
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