西端のツルブ方面〜マーカス岬〜ガスマタの強化を図る事により敵上陸阻止のラインが見て取れる。
昭和十八年七月上旬、方面軍はガスマタの防衛も強化することとし、次の命令を下達した。
(剛方作命甲第三五六号)
方面軍ハ海軍ト協同シ「ガスマタ」附近ノ防衛ヲ強化セントス
「ガスマタ」守備隊長(飯塚少佐ハ爾余「ガスマタ」守備隊長トス)ハ主力ヲ以テ「ガスマタ」飛行場、一部ヲ 以テ「リンデン」水上基地ノ占領確保ニ任シへシ
「ガスマタ」守備隊長ハ七月八日零時以降地上防衛ニ関シ所在海軍警備部隊ヲ伴セ指揮スヘシ
第三十八師団長ハ歩兵二百二十八聯隊ノ一部及山砲兵中隊ヲ海軍艦艇に依リ「ガスマタ」に到ラシメ同地到着ノ時を以ッテ「ガスマタ」守備隊長ノ指揮下ニ入ラシムヘシ
この命令に基づきガスマタに増派される兵力は、同時に示達された参謀長の支指示によって、歩兵二百二十八聯隊の約200名と山砲兵役150名、
山砲四門とされた。そしてその兵力は七月六日ガスマタに上陸し、飯塚少佐の指揮下に入って同地の防備を増強した。この命令の発令に伴い、ガスマタ所在部隊の名称は
スルミ警備隊からガスマタ守備隊に改められた。
第六十五旅団の西部ニューブリテン島への移動に伴いラバウル周辺の防備態勢は弱体化していたが、方面軍は七月三日、十日、二十日の三回、相次いで以下のような第三十八師団主力その他の
所在部隊によるラバウル周辺防備態勢の強化に関する発令をした。
十八年六月末、連合軍はナツソウ湾、レンドバ島に上陸。戦況はにわかに急を告げ航空作戦の不振、補給輸送の困難等が原因し第一線の戦況は日に日に悪化の一途をたどった。
このような第一線特にラエ、サラモア方面の危急は、その後方要地である西部ニューブリテン島の防備強化の要を認めさせることとなったのである。
方面軍は七月二十三日、第六十五旅団に次の要旨の命令を与え、要地確保の任務を明示した。
(剛方作命甲第三八九号)
1、方面軍ハ西部「ニューブリテン」「ダンピール」海峡沿岸要地ノ防衛ヲ強化セントス。
2、第六十五旅団長ハ剛方作命甲第二五六号ニ拘ラス主力ヲ以テ「マーカス」含ム以西ノ「ダンピール」海峡沿岸ノ要地及「ウインボイ」島ヲ確保スルト共ニ「ツルブ」飛行場群ノ設定整備竝ニ「ガロベ」「ツルブ」「タラセア」及「ブッシング」附近ノ兵站業務に任スベシ。「カライアイ」「フィンシュハーヘン」間ノ舟艇輸送ニ関聯スル事項ニ関シ、第十八軍司令官ノ区処ヲ受クヘシ。
3、
[以下、船舶部隊の区処に関する件-省略]
この命令によって、先に命ぜられたタラセアに対する部隊の配置は中止され、同地飛行場設定計画は放棄された。なお当時ツルブ飛行場は六月下旬で従来の西飛行場の整備作業をおおむね終了し、新たに設定にかかった東飛行場に全力を注いでいた。また、この命令で確保を命ぜられたウインボイ島は、飛行場適地こそなかったが、ダンピール海峡を制する要地と考えられ、このような処置がとられたのである。
第六十五旅団主力の輸送は月暗期を選んで行う駆逐艦輸送の関係で延引し、主力である歩兵第百四十一聯隊の進出はその第一大隊が六月下旬、残存兵力が七月下旬から八月上旬と一括ではなく所謂バラバラであった。であるから駆逐艦の搭載に洩れた人員機材は更にその後逐次主力に追及することとなり、最後の追及者が聯隊長の掌握に入ったのは十九年初め、聯隊のタラセアに向かう転進を開始した後であったとされる。当時の第六十五旅団の主要職員は以下のとおり。
旅団長
真野五郎中将(24期)18・6・15、41D長に転出
岩佐俊少将(22期)18・6・15〜18・7・26、6iB長に転出
松田巌少将(28期)18・10・29着任
参謀
大島廣治中佐(32期)
副官 玉置正雄少佐(35期)
歩兵第百四十一聯隊(二個大隊、野砲中隊、聯隊砲小隊、通信中隊)聯隊長
中島正司大佐(28期)18・6・18転出
片山憲四郎大佐(28期)
第一大隊長
戸伏長之少佐(44期)
第二大隊長
立川鴻一中佐(32期)18・8・1転出
向井豊二少佐(49期)
第六十五旅団工兵隊(二個小隊及び器材小隊)
隊長 堀地芳馬少佐
第六十五旅団通信隊(半部欠)
第六十五旅団野戦病院(半部欠)
岩佐旅団長の転出に伴い当時まだラバウルにいた着任早々の片山大佐が、急遽軍旗を奉じて海軍機でツルブに飛び七月三十日、折から出発途上の岩佐少将と飛行場で慌しい対面を行い、旅団長代理としてその指揮を継承した。そのころの旅団配置は、歩兵第百四十一聯隊第一大隊をブッシング、一個小隊程度をウインボイ島に派遣したほか、主力はツルブ付近に位置していた。
|