予備隊を率いて行け!


 虎の子のたった一門の大隊砲の眼鏡が飛び散り破壊されたとの報告が入ってくる。P-38は地上すれすれに機銃掃射を加えてきた。第一線では引き続きわが九十二式銃機関銃の音が「ダダダダダダ!!」と、頼もしく撃ちまくっている。一瞬・・・カチッというような音がして重機の音が止んだ。
すると、第一線からキャタピラの音が「カタカタカタ」としてくるではないか!
地上からと空からと徹底的に叩かれ・・暫くして一期後輩の友澤大隊砲小隊長が血だらけに なって担架で運ばれてきた。(既報)
第一線将兵の生き残りが三々五々大隊本部のあたりにもやってきた。皆気ばんでいる。
大隊長は次の敵の行動を察知して興奮していた。自慢の髭を撫でている暇などない。
鉛筆をなめなめ自ら次の命令を「通信紙」上に走らせていた。(本来は副官の仕事だが)
正副副官も大隊長の顔色を伺いながら次の行動に対処していた。
空には敵のヘリコプター(当時はオートジャイロと言っていた。まだ実物は見たこともない。)が
ブルブルと飛んでいる。ジャングルが深いため姿は見えない。
敵の陣地あたりがざわざわしている。

大隊長からは先ず

「第一線将兵を纏めさせろ!!蔵岡副官!!」

「はい!!」

 直ちに蔵岡中尉副官は伝令を集めて各中隊長にその旨を伝えた。
敵陣地からのざわつきが次第に大きく聞こえてくる。私も胸騒ぎが高くなってきた。
血だらけの負傷兵が次々と野戦病院(形だけではあるが)に運び込まれてくる。
戸伏大隊長の声が次第に荒々しくなり、ぼやぼやしていると大声で怒鳴り散らされる。
しかし・・さすがである。一同てきぱきと自分の分野をこなしているのだ。

 ヘリの爆音が消えた!。これはただ事ではない!わが陣地の位置を察知されたか?
「畜生!!いよいよ来やがったな!!」と大隊長の声。 すると綺麗に吹っ飛んでしまったジャングルの彼方に敵戦車の姿が見えた。行動は緩慢ではあるが・・。
すぐさま戸伏大隊長から命令を受けた!

「塚本少尉!!」

「ハイ!!」

「予備隊を率いて行け!!」

「ハイ!!」

 もう無我夢中である!戦闘には猶予はない。大忙しで当番兵も使って、本部周辺にいる予備隊の下士官、兵を集め度胸を決めて出立した。 こうして塚本博利少尉は壕を飛び出し、衛生、経理伝令の下士官に至るまで洗いざらいかき集め約二十名を掌握して、大隊本部から主要道路北側の窪地を道路沿いに敵側に向けて前進した。爆撃であけられた大小の漏斗孔をいくつもまたいで前進した。ここ数日は砲爆撃で一帯焼け野原で焦土と化している。上空からも丸見えだ!敵機に発見されたらひとたまりも無い。
キャタピラの音が近づいてくる。


「伏せっ!」
 道路沿いの傾斜に一同伏せた。
ボサの間から頭を上げたとたんにM3とおぼしき軽戦車が二台路上を侵入してきた。道路は狭くかつ落下した葉や漏斗状の穴にさえぎられ速度は緩慢であった。見ると随伴歩兵が雨合羽を背にかけ、自動小銃を肩にタバコをふかしながら、
「ヘイヘイ!ゴーゴー!」と、約五メートルの目の前を歩いているではないか!


「クソ野朗!!」
 このまま側面から攻撃したら全滅してしまうと判断した。 戦車は歩兵を伴いてどんどん大隊本部の方へ進んでいく。よし前へ廻ろう。「頭を下げろ」の合図で一同来た道をそろそろと下がった。
本部辺りに来ると戦車と随伴歩兵は左第一線の背後を襲う態勢になった。

「ここだ!「撃て!」

 一斉に火を噴いた!
大隊予備隊からもあらゆる兵器が戦車と歩兵に集中した。そのときだった。
「ドガン」 と物凄い音がして一台の戦車に閃光が走った!野々村軍曹の擲弾筒だ!眼を潰され盲目になった戦車は停止し、乗員は天蓋(ハッチ)をあけ逃走、更にもう一台の戦車にも攻撃を集中。敵随伴歩兵は散乱した。右第一線に突入してきた敵戦車二台も陣地後方湿地帯にはまり込んで進退不能になったところを第二中隊が攻撃を加えて大破炎上。 午後三時頃サイレンの音が各地で鳴り出し、敵は撤退を開始。再び敵の援護砲撃が始まり、午後四時頃まで一時間程続いた。
 
 かくしてマーカス岬一帯は焦土と化し、硝煙と血生臭さを残して一応は静まったのである。
第一線は、戦車十台に蹂躙され、混戦乱闘、機関銃中隊も玉砕同様の犠牲を受けた。今田克己小隊長が戦死したとの報告が入ってくる。夕刻に入り三々五々第一線からの生き残りの将兵が集合してきた。誰もが激闘に惟悴しきっていた。小森支隊長は飛行場確保という任務を考えて一応飛行場西地区への後退を決意し夜間計画通りに完了。 その後、敵の動きは特に見られず支隊も態勢立て直しの余裕が得られた。
 アラウエ(メッセリア)飛行場の西側で新たな布陣を行った支隊に、十八日「敵の飛行場設定企画を破摧せよ」 いわば玉砕命令が、十七師団司令部から発せられ、いよいよ全軍覚悟を新たにする。
相変わらず米軍の動きは不気味なほど平穏で、時折、偵察機が飛来する程度であったが、小森支隊長の判断で第二中隊を飛行場に残置し、 主力は東側に移動し態勢を整えることにした。
 二月九日、重ねてマーカス部隊は、「引き続きマーカス地区で最後まで敢闘すべし」という趣旨の命令に基づき、我が第一大隊は飛行場西側に斥候隊を配置。 主力は東側で頑張っていた。二月に入ると雨が多く、したがって患者の数も増加し、逐次後送される。これは、マーカス岬の戦闘での疲労と不衛生によるものだろう。

 敵の斥候隊が出没するという。
十二月二十六日正午、突然「タラモアに向け移動すべし」との命令が大隊長に届いた。
何っ!・・・玉砕覚悟の我々は一時ためらった・・・
ツルブ附近の夏兵団の主力は、すでに東方に向け移動しつつあるとの情報が入ったので、直ちに部隊を掌握、二十七、二十八日の両日に渡りディディモップから北上を開始、
二十八日午前五時頃「ブリエ河」を渡河、いわゆる「カ号作戦」の苦闘に入る。ラバウル要塞構築の為の後退転進作戦とはいえ、行く先々で兵站はもぬけの殻、 敵の上陸、病魔、そして餓鬼との闘い。ラバウルまで延々約600キロ、二ヶ月半余の悲惨極まる「カ号作戦」の苦闘も亦、後世に伝え残さなければならない戦歴の1ページであろう。
 現在は解りませんが、この戦闘は陸上自衛隊幹部学校の「戦史」の教科書に採用されております。 陸上自衛隊の戦闘教令には「マーカス岬における対戦車手段不十分な場合の防禦戦闘」の範例として記述されていました。
この戦闘は武器弾薬等兵站が著しく不足した状況下、擲弾筒を有効に使用した作戦として高く評価されています。

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