昭和十八年十二月十四日、マーカス岬附近一帯は早朝からの激しい空襲で爆煙に包まれ敵上陸の気配が濃厚となってきた。 当時福島鶴寿中尉の指揮するわがマーカス守備隊約四〇〇名は緊張のうちに警戒を厳にしていた。
果たせるかな翌十五日午前三時頃からゴムボート五隻に分乗した敵が接近、所在部隊はこれを射程内に引き寄せ一斉に射撃を開始した。 一応敵を混乱のうちに退却させたが、その後再び海岸陣地一帯に猛烈な艦砲射撃と銃爆撃を浴びせてきたのである。
この為わが陣地の銃座も壕も跡方なく吹き飛び、午前五時三十分頃岬の西側から水陸両用戦車LVT二隻を先頭に J・カニンガム准将指揮、米軍第112偵察連隊戦闘団が上陸してきたのである。兵站物資圧倒的に優勢な米軍に対して所在部隊は驚くべき勇敢な迎撃を努め、アラウエ(メッセリア)飛行場附近にあった三品中尉の主力の増援をもとめた。
一方午前五時三十分ラバウル基地を発進した海軍航空隊も、艦爆、戦闘機五十五機で一時間後にマーカス岬上空に到着。輝かしい戦果を挙げたがマーカス守備隊は圧倒的に優勢な米軍を阻止し得ず苦戦を強いられてる。
この為我歩兵第百四十一連隊第一大隊(大隊長 戸伏長之少佐)にマーカス岬に逆上陸の命が下り、 ブッシングから七隻の大発に分乗し十二月十八日払暁、オモイ(マーカス岬か北方直線約六キロ)附近に上陸。マーカス岬攻撃の為の作戦行動を開始。詳細な地図もなく砲声と方角を便りの出発だ。
「オモイから東進して間もなく敵斥候侵入。地雷を敷設しているとの情報が入る」
しかし尖兵中隊が微弱な敵斥候を撃退し、設置された地雷に警戒しながら現地人道らしい道を頼りに南下する。ジャングルに入るなり、なんとサゴ椰子とマングローブ湿地の連続である。足を踏み外したら大変だ。
部隊は次第に隊列が伸び、各人木の枝につかまりながらマングローブの根の上を渡って歩いていく。 ますます湿地帯が深くなり、歩行困難となってきた。止むを得ず引き返し、元の道から別の道を選んで南下、
ジャングルとマングローブ湿地を行きつ戻りつしているうちに、いたずらに空しい日を浪費してしまった。
マーカス岬に対する反撃は、ニューブリテン島での初戦であり、
ダンピール海峡防衛線の一段階を画するものである事は全員が理解しており、
各方面から注目されていたはずであるのでとても焦った・・・
かくして十二月二十六日、第三中隊新谷民夫少尉を長とする斥候隊が、
福島隊と連絡が取れた旨大隊長のもとに報告があり一同一安心した。
・・・この日は無性に暑かった・・・
アラウエ(メッセリア)飛行場辺りの広々とした地帯に出て気分もすっきりとしたが、
曝露した一帯は最も危険であり、戦場に一歩一歩近づき緊張感が漲る。
深い茂みに近づくにつれ、凄い死臭がしてきた。
ボサに分け入ると軍馬らしい屍体が腐って悪臭を放っていた。
更に前進してみると米軍の若い兵隊の屍体が金髪を振り乱して転がっていた。
(別働隊による報告では負傷した若い敵兵を逃がしているケースもある)※1
ムラムラと敵愾心が湧いてくるのを隠せない・・・
マーカス岬附近からは砲声が絶え間なく轟いている。
曝露したこの一帯を早く通過しないといつ敵機に発見されるかも知れず、
皆おのずから早足になり岬方面へと急いだ。
戸伏大隊長は一足先に到着していた歩兵第八十一連隊第一大隊長小森少佐のもとへ
自ら連絡に赴き一応帰隊する。そしてその日の午後大隊主力はようやく戦場に到着した。
十二月二十八日朝のことである。
オモイに上陸してからなんと十日も要してしまったのである。暑く重苦しい道程であった。
二十八日、二十九日の両日、早速所在部隊とともに攻撃を行ったが、
いずれも敵の熾烈な反撃を受けて攻撃は頓挫した。
小森大隊長と第一線を交代した戸伏大隊長は、取り敢えず布陣を行い、 二十九、三十の両日にわたり今後の攻撃その他について小森支隊長と詳細な打ち合わせを行なった。
一月 元旦、敵と対峙し砲撃の最中でお正月を迎えた。暑さと砲煙の中で正月気分どころではない! 昨夜、空中投下で手に入る予定だったお年玉の甘味品が午後一時ごろ十五箱届いたとの事で全員で喜んだ!
甘味品とはありがたい!
この日酒井良典中尉率いる第二中隊は、前進を試みたが、敵第一線の陣地は増強されており、反撃に遭って成功しなかった。 敵兵力も増強されたのか、正月早々猛烈な砲撃を加えてきた。
ピレロ島、クンブン島など岬周辺の島々の砲兵陣からも十五榴や迫撃砲撃ってくるらしく、 頭の上を「ヒュルヒュル」と不気味な音を立ててアラウエ(メッセリア)飛行場、レボン、ワヌー、ワコー、ブリエ河、はてはスギリ入り江の方まで
間断なく砲撃してくる。後方遮断を企図しているのであろう。 一月四日 今日も朝から砲撃が激しい!
この迫撃砲弾は瞬発信管なので椰子の葉に当たっても上空で炸裂し、
ギザギザになり狂気と云う生命を宿った無機質な破片が生命を求めてビュン!ビュン!とうなりをたてて突き刺さってくる。
そして遂に横穴の壕に入っていた兵が斜めから飛んできた破片にやられて戦死した・・・
着弾修正が次第に正確になってきて着弾が近くなってきた!一斉に壕に退避する!
「ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!」
大地を揺るがす爆発!「クソッ!」と、壕内で歯軋りをする。
敵はヘリコプター(現オートジャイロ)からの偵察も併用し、
彼らの狙いも私のいる大隊本部附近に集中してきた。
「ドカドカドカ!!ドカドカドカ!!」という音と共に椰子材で構築した壕が崩れ落ち、
・・・大量の土砂で頭から埋もれた・・・
・・・くそっ!至近弾だ!
目の前が真っ暗になり、苦しくて身動きが出来ない!
戸伏大隊長や大隊副官の蔵岡昇中尉はどうなっただろう! うめきながら土を掻き分け、力のあらん限りで椰子材を押しよけ数分かかってかすかに地上が見えた。
もうもうたる噴煙で何も分からない・・・他の壕が、戦友がどうなっているか気がかりだ。
「オーイ、オーイ!」と呼び合うがまるで見当がつかない。
三十分も経っただろうか、硝煙がやや静まり大地が僅かに見え始めたとたんに気が付いた。
なんと周辺に直径五メートルほどの弾痕がいくつもあいており、昼尚暗いジャングルもすっかり吹き飛んでいた!
この砲撃による支隊のこれまでの損害は、戦死六十五、病死十、負傷五十七、行方不明十四名に及び、態勢を整理すると共に海上を警戒するための部署の一部を変更。飛行場と海岸近くの洞窟にも中隊を配置し、佐々健彦中尉率いる第三中隊が予備としてベンガル湾地区の陣地が強化された。
これまでの経緯を小森支隊長から第十七師団長に対して、
依然任務ヲ達成シアリ、戸伏大隊ノ来援ニヨリ士気旺盛、敵ノ砲撃ニヨリマーカス半島ハ清野化サレ、糧秣ハ現地ノモノヲ消耗セリ」
との報告を行いこれらの戦況は上奏の際上聞に達し一月六日に師団参謀長を通じ御嘉賞の言葉が伝達された。
一月九日も相変わらず砲撃が続き、昼と無く夜となく「ヒュルヒュルヒュル シュルシュル」と頭上に不気味な音がうなる。神経戦だ。 幅約五百メートル、深さ(奥行き)一キロメートルに及ぶ縦深に配置された敵の陣地からは勿論、周辺の島々から間断なく砲撃が繰り返され、
神経も極度に衰弱していた。
第一線から負傷兵が運ばれてきた。血と泥と汗にまみれ誰か識別出来ない。軍医や衛生兵が忙しく立ち回る。迫撃砲弾の破片でえぐられた顔や身体が
とりあえず拭い去られると、その一人は大隊砲小隊長の友沢達已少尉だった。歯が吹き飛び右乳はえぐられ、大腿部をはじめ数個所に破片が食い込み
顔はまったく判別できないほど変形していた・・・(大腿部の破片は直径約1.5センチ、長さ約9センチ転進中は毎日傷口から膿が一合位出たとの事だ。歯は七、八本、右乳もなくなった)
十一日 いつものように激しい砲撃の後敵が出撃してきたがこれは難なく撃退できた。
しかし頻繁に敵舟艇が海岸を偵察に来るので、佐々中隊は更にベンガル湾の警戒を強める事となった。
敵の上陸は近いなと、一同緊張し、気が引き締まる
十二日
案の定アラウエ(メッセリア)飛行場附近が敵舟艇から猛烈な砲撃を受けた。
いよいよ飛行場争奪戦の様相が濃くなってきたようだ。
一月十三日頃から敵陣地方向でジープの音やら戦車の音らしきキャタピラとエンジン音が聞こえてきた。勿論、戸伏大隊長は戦車の出現も予想しており、右第一線 第二中隊(酒井)(一小欠)機関銃一小隊、
左第一線 機関銃中隊(加地)(一小欠)第三中隊の一小隊予備、第二中隊の一小隊、大隊砲小隊。 その他、第三中隊の主力はベンガル、支隊本部に配置を完了した。
一月十六日は早朝から、ノースアメリカンB25、コンソリーデッドB24(爆撃機)、
ロッキードP38(戦闘機)などが飛来、その数も次第に増加し約五十機からの
銃爆撃が始まった。
いよいよ始まったかと一同緊張する。
ダッダッダッ!ダダダダ!機関砲と機関銃の炸裂音と発射音が陣地周辺にこだまし、激しい閃光とともに爆弾が炸裂する。爆風が椰子とジャングルを揺がす。硝煙がたちこめた。
爆撃機が去ったかと思うと戦闘機が機銃掃射を開始する。次いで敵陣地から大砲と迫撃砲が一斉に射撃開始。見る見るうちに又もやジャングルが吹っ飛ばされ椰子林は丸坊主と化した。
大隊本部周辺も直径七、八メートルもの大きな漏斗孔がいくつも開いていた。 第一線ではあちこちで我が機銃や小銃の音が「ダダダダダ、ドドーン、ダダダダ、タタタタ、ドドドド」と間断なく鳴り響き、
マーカス岬一帯は阿修羅と化し彼我乱れての血の決闘となった。
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