Diary No.42 「終戦記念日に寄せて」
昭和20年8月15日。ラバウルの空には朝から珍しく爆音がしない。「おかしいな〜」と、戦友達も異口同音につぶやく。
「とうとうアメチャンも諦めやがったか・・・」と。一日静かだった。
明けて16日の早朝。「一同椰子林の広場に集合!」の知らせ。
整列した将兵の前で連隊長の沈んだ声。「今から玉音を伝える。」ザラザラした音で終戦の玉音
放送であった。難しい表現で意味がよく理解できない。連帯長の説明を加えた訓示で、日本が無条件降伏をしたという。
一同唖然。理解出来なかった。しばらくしてボロボロっと涙が落ちた。頭の中が空っぽになった。
思わず刀の柄に手がいった。。
連隊長から「決して無謀な事をするな!!!」と付け加えられた。
平常心に戻るやこれからが大変であった。
今、静かに61年前を思い出す。
走馬灯のように上官、仲間、部下達の顔が浮かぶ。テレビのどのチャンネルをまわしても終戦記念行事の報道で溢れかえっている。
当時を知らない若い報道陣が靖国神社の問題を取り上げて大騒ぎをしている。
当時戦場にあって命をかけて「死んだら靖国で会おう」の合言葉で戦ってきた私にとっては・・・
日本もこんな国になってしまったのかとテレビを消した。
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