Diary No.38 誤解された「転進」
牟田口兵団がポートモレスビーを目前にして後退を余儀なくされた話は有名ですね。
私の記憶では、この頃から「転進」という言葉が風潮され始め、「あれは敵前逃亡だ」とか「退却だ」
という意味として国民の間に誤流布されてきたようです。
当時の一般市民でも軍律の厳しさを知っていた方は、一部の限られた人だけだったでしょう。
帝国陸海軍には「退却」という言葉はありませんでした。
上記の兵団は、食糧は尽き、戦死者が多発したため、一度撤退して戦力を整えて又出直すという決断だったと
私は思います。しかし、これ以来、牟田口軍司令官は統率力がない、牟田口兵団は弱虫兵団だと悪口を言われるようになってしまいました。当時でも一度流布されたら大変だったのです。
ご存知の通り、私達も玉砕寸前にラバウルへ集合せよとの命令が出て、
カ号作戦に基づく「転進」を余儀なくされました。
「場所を転じて進んで来い」という意味ですね。
われわれにも「退却」などという気持ちは毛頭ありませんでした。
最高司令官が行う作戦上の部下兵団の用兵の一環でした。
以上のことから私には今でも「転進」という言葉のニュアンスに複雑な思いがしてなりません。
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