DIARY OF WAR


 Diary No.16「将校と当番兵」

 少尉以上の将校には戦時平時を問わず、将校の身の回りの世話する当番兵が付く。
将校勤務といえど見習士官は営内居住であり、下士官、兵と起居を共にし当番兵も付かない。
ただし、夜は将校室で起居をし、食事は兵が交代で届けてくれる。
週番担当の時は、週番肩章を肩から斜めにかけて点呼、巡察を行う。
市内巡察の場合は兵をつれて映画館、喫茶店などを見て回り、下士官、

兵などに軍人として恥ずべき行為がないか診てまわる。


少尉に任官して当番兵がつくや両者は一心同体になるのが軍隊である。

 戦場においても当番兵は常に主である将校と寝食を共にして行動する。
当然ながら兵の中で優秀な兵が当番兵に選ばれるわけです。
中隊付き准尉が、当番兵を選択する。
准尉さんは、軍隊経歴が長く、兵の一人ひとりの性格まで把握している。
いわば軍隊内の「大目付役」みたいな存在で、中隊長も人事に関しては概ね任せている。
戦時中は、指揮班に属し、中隊長を補佐する。

 私もニューブリテン島の戦場で、あちこち異動したが、その都度当番兵も代わり、
互いに労わり合いながら行動を共にした。
真野兵団長閣下にお使えした時の閣下の当番兵は軍曹(下士官)であった。
中将ともなると当番兵も違うなと思ったものである。
将軍ともなると副官も2名いるが、それぞれに当番兵がいるのも当然である。

 当番兵のことでは戸伏大隊長のことが思い出される。
転進を開始して間もない頃、最初の河に差し掛かった。深さは膝くらいであった。
当番兵のO兵長は、大隊長を気づかって「おんぶ」をして渡河を始めた。
5〜6歩歩き始めた頃、O兵長が河底の石で足をつまずいたのであろう。
大隊長をおんぶしたままドーッと河の中に倒れてしまい二人ともずぶぬれになってしまった。
O兵長は大あやまり。大隊長も怒るに怒れず、二人とも全裸になって衣類を干した。
軍刀はあやうく難を免れたようであった。

将校と兵。転進中にあっても互いに助け合いながら難局を切り抜けたのである。

数年前、戦友会に参加した折、かのO元兵長と出会った。

当然、戸伏大隊長との話になったが、「あの時は、切腹ものかと思いましたよ」と笑っておられた。

私の当番をやられた兵隊さん達は、既にこの世におられない。皆いい人たちであった。

現在、政治家には秘書が数人付いている。この両者の関係とは当然違う。

生命を託した戦場での主従関係は、現在の世間では想像出来ないことであろうと思う。


 
Diary No.017「久留米第一予備士官学校」
 

 

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