Diary No.14「地獄を見た」
数年前、在福山の戦友会に出席した時の話。 いつも戦友会には家内同伴で出席している。 ついでに近くの観光地を訪ねるのも狙いではあるが、 家内に戦友会の雰囲気を知ってもらうチャンスでもあった。 会たけなわの頃、Y元軍曹が深刻な顔をして、家内に言った。 「ご主人を大事にしんさいよ。あの激戦を生きぬいて帰ってきんさったじゃけーのう。」と、 広島弁で話してくれたそうである。 当時80歳ぐらいだったY氏は、その後奥さんに先立たれ、 彼もそのあと痴呆になって施設生活の後亡くなった。 彼は「地獄のような戦場での話は、経験したものでなけりゃ話しても判らんですよ」 とも言っていたそうである。 「マーカス岬東の飛行場予定地は絶対に敵に渡すな。玉砕覚悟で敵の進攻に対峙せよ」 との命を受けて戦っていたわが戸伏大隊に、突如「カ号作戦」発動。 全軍急遽ラバウルに集結せよとの方面軍からの命令である。 敵上陸に備えての防衛体制の強化であろうと想像する。 玉砕は免れたものの気が抜けた思いで転進の準備にとりかかったのである。 急遽各中隊に連絡。生き残り大隊将兵全員が集結した頃は夜が白みかけていた。 「出発!!」の合図で先ずはディディモップへ向けて行進を開始した。 戦死された戦友を半端な形で残していくことを思うと、うしろ髪を引かれる思いであった。 (アメリカの公刊戦史によると我々が引き上げた後に、また大係りな攻撃をしかけてきたらしいが、 わが方は既にもぬけの殻になっていたのである。いい気味だ。)
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