来る日も来る日も豪軍援助作業だ。豪軍の幕舎構築をやる班、兵器弾薬集積作業をやる班、はるばるラバウル市街まで行って豪軍以外の使役に応ずる班など 多彩であったが、
次第に残虐な報復作業も目立ってきた。
重い椰子材をかつがせて走らせ、転んで下敷きとなり死んだという話に至っては一同頭に来た! いくら敗戦国とはいえ人道上許せぬという事になり、今村大将から進駐部隊の最高責任者に対し厳重な抗議を申し入れた。
この頃各部隊では終戦直後、今村軍司令官から示達された「聖諭奉唱訓」に基づいて、これからの忍辱に堪えぬき、祖国復興に参加するための教育が施されたのである。
国難時聖諭奉唱五訓
一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし
一、軍人は礼儀を正しくすべし
一、軍人は武勇を尚ぶべし
一、軍人は信義を重んずべし
一、軍人は質素を旨とすべし。
復興参加はいつになるのか。誰もがその日を楽しみにしていたものである。
一方南方ボケをした将兵に対し、一般教養を与えるべく専門家の手になる各種の教科書がガリ版で作成され有志に対して 教育が施された。いずれも南東方面軍司令部の名前が入っていた。
「化学教程」の表紙にはマラリア剤アクリナミンの構造式が図示され、第一編無機化学、第二編有機化学、第三編化学の応用、第四編化学総論 からなっていた。
「数学物理化学公式集」「度量衝換算表」「国民教程別冊、国史年表」「主要農作物耕種要領一覧表」「野菜其の他耕種要領一覧表」 「主要作物耕作過程表」などはいずれも詳細な項目が数字などで表示され、専門家によって作成されたものとはいえまさに驚嘆に値するものであり、 このほか法律、経済その他全般にわたっていた。
さらに私を驚かせたものは「植物図鑑」である。残念ながら表紙はとれているが上質紙に一五五種類のラバウル周辺の植物が科別に分類され、 学名、和名、土名、生態、食用部、調理法、利用状況、利用価値、播植法などが心にくいほど詳細に記述され、いちいち緻密な図面が付けられ縮尺まで附記されている。
目次の次項には「歳成らば燃ゆるひとみに吾が子読む、父等ゑがきしラバウルの史を」とあるから現地で誰かが作った物であることは間違いない。
数年前に今村元大将、太田元方面軍参謀をはじめ何人かの方々に紹介してみたが、いずれも記憶が定かではないというご返事であった。 ポートモレスビーの大学図書館に同一の植物図鑑が置いてあるという情報も入ったが、確証もないまま私の手元で保存してある。いずれの資料も色褪せ変色しているが、 その昔赤道直下の南海の果てで、誰かが記憶を辿り資料を紐解きながら作成したであろう事を思い起こす時感慨一入のものがあり、 当時欲もなくこれらの資料を持ち帰った事をいまさらのように喜んでいる。
今村大将、眞野中将、片山大佐など今は亡き当時の上官から頂戴した数々のお手紙と共に「つわものどもの夢のあと」の一片として後世に残しておきたいと思っている。