マーカス岬に布陣してから相変わらず毎晩のように敵陣地から砲撃が繰り返され、ノースアメリカンB25が銃爆撃していく
わが大隊本部から約二キロ程度しかない敵陣地からは、時折ジープとか戦車とかが始動しているらしい音が聞こえてくる。といっても特に攻撃を仕掛けてくる 様子も無い。
左右第一線のわが陣地の将兵も敵を目前にして万全の態勢を敷いているとはいえ、毎日緊張の連続であろう。糧抹にも限りがあり現地調達にも苦労した。
毎日使役が派遣され、遥か後方メッセリア飛行場を更に東方へ行ってはタロイモなどを手に入れてくる。帰路、飛行場中央部あたりで敵機に発見され、逃げ場を失って機銃の犠牲になった者も少なくない。
敵機はトラックであろうと人であろうと発見したら弾薬に糸目をつけず徹底的に機銃掃射を浴びせ、トラックは掩蔽壕に退避するいとまもなく炎上させられた。
ある日、敵爆撃機の来襲に遭い、野戦病院近くに堆積してあった岩塩が吹き飛ばされたというので行ってみると無残にも真黒こげになった折硝煙のにおいが漂っていた。
戦場での炊事は、煙で敵に上空から発見されるのを防止するため、常に翌一日分を夜のうちに、しかも火が見えないように周囲を囲って行なった。ましてマーカスの戦場においては最細心の注意が払われていたものである。
夜になるとまたもや迫撃砲の不寝番射撃があり、炊事当番は、弾着と火に注意しながら暑さをこらえて懸命に頑張った。
それにしても敵の地上部隊は不気味なほど動きが無かった。
ある夜、右下の虫歯が急に痛くなった。マーカスに来てからは、勿論歯など磨いている暇は無い。夕食に食べたタロイモの固いズイキを噛んだ為、これまで静かにしていた虫歯が騒ぎ出したのだろう。 ところが、その痛みがただ事ではなかった!ズキズキするのは当然としても、顎の辺りが痛み出し、右頬が大きく腫れ上がった!二二時過ぎの頃は頭の芯まで痛くなり、もういてもたってもいられなくなった。
こんな時、敵の攻撃でも仕掛けられたらどうしよう・・・
孤独と不安と激痛に駆られながら、とうとう軍医さんを起こした。まさに軍医さんは神様である。
軍医さんもマラリアなどで弱っておられたが、ねむい眼を擦りながら私の口の中をのぞいてくれた。「何とかしてください!」と懇願した。
「ヤヤッ!これはいかん。骨膜炎になっているぞ!早くこっちへ来い。」と歯科診療室へ案内された。お粗末な診療室にはデンと歯の治療台が置いてある。なんとたいしたもんだ。この遥か戦場にこんなに立派な診療台があるとは・・・どうやって搬送してきたものだろうか。
大急ぎで台の上に乗り、身体を任せた。注射したのかしないのかわからぬうちに、バリバリ!という音と共に激痛が走り何本かの歯が抜き取れた。
眼からは涙が出る。口の中は何がなんだか分からない。口を濯ぐと真っ赤な血が泡となって流れ出た!なにか治療をしているようだったが、「これで終わり!」との一言。 脱脂綿を口にくわえてお礼を申し上げ帰ってきた。放って置くと歯髄炎になるところだったと後で言われた。
今では当然旧式のものだろうが、あの重厚な歯の治療台はまさに軍医部にとっては重要な兵器に値する物であろう。砲撃のさなか、骨膜炎の治療など思いもよらない出来事であった。餅屋は餅屋というが、これほど軍医さんが偉く見えたことはなかった。
復員後、数年してから入れ歯を作ってみたもののどうにも思わしくないので、外したままになっており、右下の歯は「二本欠」という状態になっている。 今現在では、何とか全部自分の歯で、しかも虫歯がない(治療してかぶせた歯はあるが・・・)のはありがたく親に感謝しなければならないが、
口の中は、「完全編成」ならぬ「二小隊欠」というところか。
これで敵さんいつでも来い!ということになった。相変わらず砲爆撃が続いているが、地上の動きは不気味さが続く・・・