ツルブにおける真野兵団長閣下は毎日多忙を極めた。ツルブ飛行場の滑走路整備のため部隊を出役させ、キリゲに大島高級参謀(陸士三十二期のち歩兵第五十三連隊長)や高級副官を派遣しては兵站輸送の指導にあたったりした。
私も閣下の命を受けて参謀部、副官部、経理部、軍医部などの上級将校との間の連絡にキリキリ舞いをさせられた。ご機嫌の悪い時の大島参謀には何回か叱られたものである。時折、敵機が飛来し、ツルブ飛行場附近に爆弾を投下していく。そのつど兵団司令部の附近もドカドカと地響きがした。またやったなと歯ぎしりをする。明日の滑走路ならしがひと苦労だ。
ダンピールの風雲が急となり制空制海権とも敵手に落ちたという。兵団司令部も真野兵団長を中心にあわただしさを増してきた。私もそろそろやり甲斐のある原隊生活が恋しくなってきた矢先、真野兵団長に転出内示があり、ニューギニアのウエワク附近で激戦を続けている河兵団(第四十一師団)の兵団長ということだった。
私も間もなくして懐かしい原隊に小隊長として復帰した。六月十五日付けで真野閣下はニューギニアに赴任され、連隊長も中島正司大佐が六月十八日付けで転出し後任には陸士同期(二十八期)の片山憲四郎大佐が七月五日に空路着任された。その後兵団長の短期更迭、片山連隊長の兵団長代理などあわただしく、一方連隊主力のラバウルからの輸送も大変遅延していた。片山連隊長は、連隊の任務を考慮し、特に将校にはそれぞれの自覚を持たせるための教育を施した。
ある日、将校に対して筆記試験を試みた。試験問題は各般にわたったが、「次のことについて知れることを記せ。」という中の小問題に「フィンシュハーヘン」とういうのが出た。私にとって初めての用語であり、全く見当がつかない。空欄で提出するのもしゃくなので、エィとばかりに「マラリアの特効薬」と解答した。正解を聞かされて恥ずかしいやらおかしいやらであったが、今振り返ると、当時東部ニューギニアの戦力的にも重要な港であり、しかも西部ニューブリテン島とは目と鼻の先にあった地名を知らなかった私は、指導官という立場を考えれば何と言われても弁解の余地はなかっただろう。
八月に入ってから第一大隊はまたまた忙しくなった。海路南岸のブッシングに赴き新しい任務につくというのだ。またもやわが第一大隊の主力は先発隊となり戸伏大隊長以下は大発に分乗し、敵機、敵艦を警戒しつつ、つとめて海岸寄りに航行を続けた。海風は涼しいくらいだ。空の警戒は怠れない。ずいぶん乗ったような気がする。なんとか敵に発見されず無事イトニ河の河口に入り遡航して左岸に次々と上陸した。ツルブと比較して更に湿地帯である。
ここでわが大隊は、船舶部隊の一部とともに警備とニューギニアへの輸送に従事することになる。