攻略企図拡大


東部ニューギニア及びソロモン諸島に対する企図拡大。

  ラバウル攻略直後同地に進出した横浜海軍航空隊が一月二十四日ポートモレスビーを偵察。 特務艦一、小艦艇四の在泊と市街地当方の飛行場に大型二、小型一の飛行機の存在を報じた。 ところがその夜ラバウルは21時頃から三回に渡り空襲を受けた。機銃掃射と爆撃で陸軍輸送船一隻が損傷、沈没には至らなかった。 その後連合軍は少数機ながら隔日ごとに夜間ラバウルに来襲した。それは時日の経過とともに激化するモレスビー〜ラバウル間の彼我航空消耗戦の開幕であると同時に その後三年有余にわたる日本軍苦闘の前奏曲であった。 当時日本軍主力方面の南方要域攻略作戦はフィリピンのバターン半島方面以外は引き続き極めて順調に進んでいた。すなわちマレー方面作戦軍は一月末にはジョホール水道に進出し得る態勢にあり 蘭印作戦軍の蘭領ボルネオ、セレベス島及びモルッカ諸島占領作戦は終わり、ビルマ作戦軍は一月三十一日要衝モールメンを占領した。 この情勢から大本営は、南方攻略の作戦速度を予定より約一ヶ月は早めるよう指導を行なうと共に、全ビルマ要域攻略策作戦を速やかに実施するに決して 、一月二十二日これを発令したような状況であった。 ラエ、サラモア攻略作戦 ラエ、サラモア附近の連合軍の状況は、それぞれ幅百メートル、長さ八百メートル〜千メートルの飛行場があり、戦闘機の使用が可能であった。ワウ(サラモア南西約五十キロ) にも小飛行場があり、ポートモレスビーには飛行場が着々増設されつつあった。連合軍基地航空部隊はクックタウン、タウンスビルを根拠に、モレスビーを中継基地、 ラエ、サラモア、ワウを前進基地とし、ラバウル、ガスマタ方面に反撃を続けていた。 ラエ・サラモアにはそれぞれ約50名から100名前後の義勇兵がいた。これは一週間のうち3〜日集合して訓練を受ける一般市民であった。航空写真偵察と陸軍攻略部隊指揮官の 飛行機による事前偵察の結果も軽易な陣地らしいものを散見するだけであった。常駐の艦艇、飛行機は勿論いなかった。

機を見てと云う事の意味 TOPへ
Contents(japanese only)最新情報、ご連絡はこちらから→「戦陣の断章」外伝
TOP マーカス岬の戦い  
戦陣の断章 旧戦陣の断章 第六十五旅団「夏兵団」
ラバウル〜南十字星  Diary of War
南太平洋作戦序章 更新記録 
戦陣写真館  Links

「戦陣の断章外伝」と、当サイト掲載の写真・文章の無断転載を禁じます。
引用、二次利用の際は出典を明記し
「戦陣の断章外伝」から非公開コメントとしてお寄せ下さい。
Copyright (C) 2005〜 新・戦陣の断章〜BLADE ARTS&SAMURAI SPIRITS〜

お問い合わせは「戦陣の断章外伝」から非公開コメントとしてお寄せ下さい。 

 


韮崎靖国の家